歳末にあたって

コロナが明けて始まった今年も、もうすぐ終わろうとしている。既に以前に戻った感もあるが、コロナ禍で失ったものもある。この3年間、人と会うことが制限されたことで、若い世代がその機会を失い、経験を積むことができなかったのもそのひとつだ。

<上徒士町の家>

若い時の経験が、その後に大きな影響を及ぼすことを、この歳になるとよくわかる。修練のつらい時期、頭から押さえつけられる日々、思うことを行動に移せないもどかしさ、そうした身体に刻まれた経験は何ものにも代えがたい。

それはけして悪い記憶だけではなく、そのときに言葉をかけてくれた暖かさ、遠くからも見守ってくれたまなざし、影になって励ましてくれた優しさ。そうした支えがあって、厳しい環境がいかに人間形成に必要だったのかと気づかされる。

<茶陶の工房、茶室>

一方、モノの価値が分からないといわれて久しい。値段の安さ、人と同じものをという安心感、溢れる情報で平均化された価値基準、それら現代社会が作り出したシステムが、その人なりの価値観を失わせ、人としての素直な感情までをも隠してしまっているように感じる。

手間をかけない、時間をかけない、情熱を求めない、創造を求めない、そのような社会から、ホンモノの価値が生まれるのかと。

建築を作ることの中に潜むものは、とても大きなものだと思っている。ホンモノの豊かさとは、本来の快適さとは、そうしたことを真正面に捉えて考えることが、人として生きているという実感ではないか。家は人と人との関係性の最たるものであり、建築を作るということは、それらの答えを導くものだからだ。

そのとき、求められるのが経験なのだと思う。若い頃の痛みや辛さ、苦い想いが時を経て発酵し、深い河となってその人を作っていく。人との交わりの中で育まれるもの、人の手を経て価値づけられるものが、どこか希薄になってはいないだろうか。

<鎌倉扇ヶ谷の家>

建築を作るということは何なのか、その重みを改めて自覚し、全うするためにも、先ずは自らの言葉で話すことを心がけていきたい。本年も小欄を通じて知り合うことができた方々に、心から御礼を申し上げたい。

来る年も、さらに一層の邁進をしていく覚悟で臨もうと思う。

 

(前田)