数寄屋はわが国で生まれ、床座が主体の空間だった。しかし、現代においては椅子に座る暮らしが普及し、部屋には常に家具が置かれ、居場所が定められた生活スタイルになって久しい。
数寄屋は茶室を指す言葉として生まれながらも、後年、茶の湯の雰囲気をもった建物の総称として、現代まで伝わってきた。この間、茶の湯が標榜するストイックな眼識だけにこだわらず、日本のさまざまな美意識を柔軟に取り入れ、時代に沿った美しい姿を追求してきた。だからこそ、長きにわたって日本人に受け入れられてきたのだろう。
<東LDKを見る>
利便性や身体的欲求から、床座離れは自然な成り行きであって、それも現代の暮らしである。それを受け入れることと、日本人が求めてきたものとが相反することはない。畳に座すことが数寄屋ではなく。さまざまなものを受け入れ、暮らしの中に美しさを求めてきた純真さが、数寄屋の中の美しさにあるのだろう。それは形の継承ではなく、日本人としての精神性の深いところに、数寄屋がかかわってきたからではないか。
<東LDK、リビングを見る>
両親のLDKになる。南の庭に面して大きく開いて、東西に展開する庭の空間を室内へと招く。天井は、変則的な船底天井として、杉杢板を張り、棰桟を猿頬面に取って柔らかく納めた。庭から見る建物は極力軒を低くして穏やかに見せる一方、室内では懐を大きく豊かな広がりをもつ。一見矛盾するが、建築の魅力はこういうところにある。廊下側には、大きなガラスの格子戸を入れ、南庭の緑とともに、中庭の水鏡も見て取れる。
<東LDK,ダイニングからキッチンを見る>
リビングのソファーに座って庭を望む。庭で見た橋掛かりから、枯流れを経た水が大河となってリビングに向けて流れ込んでくる。そうした見立てを砂利敷きで表した。またその水がリビングの下を潜って、中庭の水鏡へとつながっていくというストーリーを描いた。天井の勾配は、そのまま土縁の軒裏に繋がり、庭の景色を室内へと導く。
<東LDK、リビングから南庭を見る>
枯流れの水が、建物の下を流れて、この水鏡へと注がれる。中庭の奥に連なる建物が和室棟になる。手前の建物の軒高を少し上げ、和室棟の軒を低くすることで、こちらから望む屋根の連なりを美しく見せたいと、慎重に軒高を調整している。和室棟の前には、御影石を組んだ階(きざはし)を設け、3方に回る縁廊下の外には、濡縁に低い手摺を巡らすことで、外部空間を間近に引き寄せながら、水鏡の景色を室内へといざなう。
<水鏡を通して和室棟を見る>
<つづく>
(前田)