敷地はおよそ1200坪、南と東に道路が取り付く。耕作地は一見すると平坦に見えるものの、土地の高低差はかなり大きい。南西角に向かって高くなりながら、北に向かっては下っていくという土地だった。そこで、道路と取り合う南東角にこの家としての表門を開き、東側の道に沿って日常使いの通用門を開けた。地縁に薄い土地とあって、南東角に石垣を組み、その上に高木を数本寄せ植えして象徴性を持たせた造形を試みた。普請にあたり、この地に根差す歴史や想いを、未来に向けて刻み残したいとの思いからだった。
<敷地南東角を望む>
こうした邸宅の表門は、家としてのハレの場に使われるのがもっぱらで、賓客を招くおり、亭主はこの門前で待って客を迎える。そのためにも門前にはこれだけの余白が必要で、塀で囲って迎えつけの一境を作った。石垣にかぶるように寄せ植えの大刈込で門前とをつなぎ、表門には松を添えて体裁を整えた。三沢にとって冬は長く厳しい。春の訪れを通り過ぎる人にも感じられるよう、南東角の塀の内側には背丈のある枝垂桜を入れた。
<表門、門前全体を望む>
表門は数寄屋門として、門柱には杉磨丸太を用い、寄棟屋根で穏やかに形づくる。屋根は軒を深く差し出し邸宅に見合う強さを持たせ、5寸勾配として屋根に厚みを与えて、懐の力棰で風雪に備えた。袖壁は腰高に杉柾板を張って緊張感を醸し、門扉には樹齢200年を超す杉中杢板の1枚板を入れた。瀟洒な数寄屋門としつつも、全体として堂々とした趣を目指した。
<表門を望む>
表門から入るアイストップには、先代が昭和天皇から下賜された松をおいた。本家としての歴史を語るひとつでもある。依頼を受けた6年前に見ていたが、その頃はまだ小さかったが、随分と成長して特徴ある幹に育った。背景の植栽を整えながら東の庭へと繋げたが、こちらは個室が面するプライベートな庭であることから、アプローチからは目に立たないよう木々をかぶせて視線を遮っている。
<表門からアプローチを見る>
表門からの苑路を矩の手に曲がると玄関へのアプローチとなる。延段を直線に打って象徴性を持たせ、これから望む庭への期待を抱かせる。右の奥が両親の寝室にあたることから塀で視線を遮り、敢えて空間を絞ることで奥に行って広がる展開をと、濃密な空間に仕立てた。アプローチの両脇には、花実をつける木々を中心に植え、三沢の長い冬を超えると、春先にはここから一斉に花が咲き始めていくというストーリーを描いている。
<玄関へのアプローチを望む>
<つづく>
(前田)