基本設計2題

すっかり更新が滞ってしまった。昨年末で取り組んでいた仕事が次々と竣工し、珍しく現場から離れていた。そんなこともあって、今年は懸案だった自邸の改修に取り組もうと思っている。紺屋の白袴を地で行くボロ家だが、正月以来、二十数年ぶりに自宅で毎日を過ごし、ゆったりした時の流れに浸っていた。

それも束の間、種々に話が舞い込んできて、3月以降、ずっと計画に没頭している。昨年書いた八戸の住宅が5月から着工とあって、出張もなく、他の仕事に遮られずに集中できた。設計の仕事は、話が来てから具体化するまで時間がかかるが、とんとん拍子に決まるのは珍しいことだった。

これは、盛岡市内に計画したある科学者の家である。盛岡で8年ほど前に設計した住宅を見てくれて以来、追ってくれてた方からの依頼だった。当初は半信半疑だったが、特許を幾つも持ち海外の方との交流も盛んで、それら世話になった方々を招きたいという。そのための建築を望まれた。

敷地は500坪強の平坦な土地で、西方に岩手山が望まれる得難い環境の住宅地にある。辺りの家に視野が遮られぬよう高床にして、家中のどこからでも岩手山を眺め、南に開ける庭と接しられる家を計画した。海外の賓客が多いことから、我が国の文化や風習、四季折々の風情や行事などが楽しめるよう、周囲の庭も含めた計画を提案した。施主のたぐいまれな人間性が多くの友を呼び寄せ、豊かな人生を歩まれたことが伝わってくる。ぜひともそれに応えたい。これから細々したところを詰めて、9月から実施設計に入る。木造の170坪ほどの建築となるので、今冬の木材を伐採する時期に間に合うよう、取り組んでいきたい。

 

これは宮城で計画している、とある著名な日本画家の美術館である。3年前に話があって別の敷地で計画をしたが、事情があって先送りになっていた。それが急転直下、支援者の絶大な好意で新たな敷地で計画が進むこととなった。

2200坪という恵まれた敷地で、東から南に掛けて包まれるように小高い山の緑が覆う。敷地を見に行ったときは小雨模様だったが、山肌の木々を靄が包みこみ、美しい姿を湛えていた。静かなこの地にも震災は容赦なく、周囲は新たに造成されて記憶が消された街に変わっていた。その中にあって、ここにはかつての土地の記憶を伝える原生林が広がっている。これを生かさねばと思った。美術を語る見識はないが、人の営みと自然はともに雄大で緻密だと思う。そうした交わりを美しさにかえて、来る人の記憶にとどめたい。今後、運営母体の設立など、超えるハードルはあるものの、腰を据えて取り組む仕事になるだろう。

 

ささやかな自邸の改修も始まり、三十数年ぶりに実家に身を寄せている。場所が変わると寝られない性分なのだが、それが驚くほど良く眠れる。記憶は薄れるものと思っていたが、過ごした時を身体が覚えているのかも知れない。改めて、暮らす記憶に家が大きくかかわるのだと教えられた気がしている。

(前田)