三沢の数寄屋(中庭)

三沢の数寄屋も、建築工事が終盤に差し掛かってきた。内部の左官も終わり、造り付けの家具から建具が入りだした。養生が取れて、仕上材の姿が見えてくると、途端に建築がその全貌を表して来る。幾度と経験してきたが、この瞬間にはいつも胸躍らせる。建築をやっていて良かったと思える時だ。

 <水鏡を通し和室が連なる北側を見る>

大きな建築とあって、外部に向けて居室を取ろうとすると、自然に内部にも開けた空間が必要になってくる。その場合の問題がメンテナンスで、特に三沢は多雪地域とあって、冬季の雪への配慮を欠かすことができない。幸い施主が近隣の施設で使っている豊富な井戸水があることを聞いていたこともあり、その水を使って解決できないかと思い考えていた。

<シアタールームから望む>

そこで中庭一面を水鏡として設けることにした。この井戸水は通年15℃に保たれ、かけ流しにすれば融雪にも対処できるだろうと踏んでのことだ。これも建物周囲に潤沢な庭が展開して、初めて取り入れられる意匠だろう。

人類史上、最も古い鏡といわれるものが水鏡であった。人の姿や事象をありのままに映し出す水面は、神聖なものとされてきた歴史がある。そうした神聖な水鏡を中心に人々が巡り、またその水鏡は、この家を包む自然、移り行く季節、さらに住む人の心をも映しだしてくれるだろう。そうした精神性を内部に包含することで、この家ならではの美しさ、気高さを宿したいと願った。美しさは時に、人に癒しを与えてくれるものと信じるからである。

<東側から西面を望む>

三沢は既に20㎝の雪が降り、冬はそこまで来ている。冬季は地面が凍るため植栽はできない。その間、表門から外周の塀などを加工し、雪解けを待って庭のグランドカバーを施し竣工を迎える。

数寄屋は、わが国が大切にしてきたひとつの様式であるといっていい。自然に囲まれた暮らしが、真の豊かさを以て人に潤いを与えてくれると信じてきた証かもしれない。この厳しい冬期環境の中で、果たして数寄屋などできるのかと不安だったし、その情感をこの環境でどう表していくのか、現代の暮らしに数寄屋の何が生かせるのかと悩んだ時期もあった。この家は、それを経て出したひとつの答えでもある。竣工時に改めて紹介し、厳しい批評を戴ければ幸いである。

 

(前田)