既に11月も半ばとなり、三沢では植樹時期の限界にきている。今年は温暖な気候が続いているのがせめてもの救いで、今週からの出張で、大きな樹木はすべて植え終えたい。今年の4月から建物の主庭である南側の庭を南西角から始め、西庭へと移行し、和室の北庭を終えて、最後に表門から東庭が明日からの仕事となる。
庭石材は、施主の祖父の代に秋田から運ばせていたものを使うことができた。小さな土場に眠っていた石材を掘り起こして運んでみると、予想外の量があった。秋田からの運搬の過程で方々に傷があったが、見どころを定めながらも適宜使うことができたのは幸いだった
石は埋めて使えといわれているが、何もない土地に目見当でレベルを定め、穴を穿って配していくには、最終的な庭の造形が描けなければできない。前回記したように、造園屋から提供を受けた土場の樹木をひとつずつ頭に叩き込み、それをもとに庭の造形を頭で描いていく。建築の現場監理と並行してそれを進めるには、相当の覚悟を決めて、のめり込まねばならなかった。
現場事務所に、白紙の配置図を用意して、少しずつ使う樹木を描き加えながら構想をまとめていく。建築の内部からどう見えるか、空間としてどう開くのか。あるところでは密接した緊張感を作り、それらが全体としてどう空間を奏でるのかを考えながらの策定は、一方で責任の重さとの戦いであった。
元来庭は好きで、京都にいるときから方々を見て回ってスケッチしてきた。京都の庭は、何年も前からそこにある庭樹が、そのままの形でいまも庭を作っている。生き物だから成長しているはずなのに、それを全く感じさせない姿を保ちながら、庭が作られているのを見ると、京都の歴史の厚みを実感する。返していえば、庭も膨大なディテールの集積で出来ているということなのだ。けしてただ植えられているのではない。空間を作るために、絶対に必要な樹木を選び、その樹木を最適な姿でその場に置いていく。それらの樹木や石が互いに緊張感を醸し出し、各々の存在を影響させながら空間へと形作られていく。
庭はけして自然ではない。全くの人工物であるといっていい。しかし我が国はそうしたものの中に自然を見てきた。雄大な自然を見るのと等しく、庭に自然が奏でる小宇宙を見てきた。それらが建築の内部空間と交わり、外部からは建築を呑み込みながら、日本人固有の自然観を構築してきたのだろう。
この歳になって、このような大きな仕事に携われることは、これまで自分が培ってきたことへの、ひとつの回答を示すことと思って取り組んでいる。内外を含め、どのような世界が作れるのか。いまはそれだけに集中したい。
(前田)