三沢の数寄屋(庭園工事)

足掛け5年に及ぶ三沢の数寄屋も、漸く建築工事が終盤を迎えた。設計当初から数寄屋を熱望されたものの、建築はとにかく、庭をどうまとめていくのかが不安だった。

我が国が標榜してきた建築は、建築単体で見るものではなく、建築を取り巻く外部空間といかに密接して、芳醇な空間を形作るかが求められてきた。その意味でも、外部空間を建築と見合った形にまで作り込めるのか、それだけのコスト配分が可能なのか、作り手が三沢にいるのだろうかと、設計を書きながらも不安は拭えなかった。

<南庭より建物を望む>

青森の冬は長い。三沢という地は、海に近いこともあって風も強い。植樹も寒さが厳しいとあって、常緑樹は針葉樹に頼らざるを得ず、植樹に適した時期も一年を通してかなり短い。制約が厳しい環境の中で、如何にして建築と同等の外部空間に仕立てたら良いのか、皆目見当がつかなかった。

施主は、自身の山も相当数所有しており、当初は山の木を移植することも考えて方々を見て回ったが、山の木を掘り取りして運搬のことを考えると、とてもコストが合わない。植樹する時間を考えると、建築が始まる時期と同じく進められなければ、とても間に合わない。解決の糸口が見いだせずにいたところ、五戸町の鈴木造園が手を挙げてくれた。

<表門よりアプローチを見る>

初めてお会いしたが、社長の人柄がよく、鈴木さんの土場にある木を自由に使ってほしいと提供してくれた。バブル以降、自宅に庭を作って楽しむ施主も極端に減り、手のかかる日本的な庭園などは避けられてきた経緯がある。土場の木々もそのせいかすっかりと間延びしてしまって、とても一般の住宅では使いきれないほど大きくなっていた。

今回の敷地は1200坪ほどの大きさがあり、逆にある程度の大きな樹木で背景を整えないと纏まらない恐れを感じていた。そのような渡りに船の申し出を受け、いち躍心を躍らせた。

<西玄関前の植樹>

話が決まるとすぐに、敷地に隣接する畑に土場の木々を運搬してくれ、今年4月の雪解けから植樹に掛かりだした。現場を指揮する鈴木社長の右腕、苫米地さんが気を吐いてくれ、熟達の職人衆を従えて熱心に取り組んでくれている。

<つづく>

(前田)