小田原板橋の丘陵地に、セカンドハウスとして計画された。
小田原はかつて海岸地域を中心に、伊藤博文の滄浪閣をはじめとする別荘が多く建てられた。しかし1902年の小田原大海嘯によって被害を受けてからは、丘陵地帯であるこの地域に、山縣有朋の古稀庵をはじめ、財閥たちの多くの別荘や別邸が建てられ、一躍景勝地として名をはせた。
<室内より景色を望む>
南に向かって太平洋を望み、そこから静かな稜線を描く山並みが、遠く箱根の峰々へと繋がる。初めてこの敷地を訪れたとき、それらの景色を一望できるこの土地の魅力に取り憑かれた。
話しをいただいたのが3年前。施主は早くからこの地を求めていたが、その活用に悩んでいた時期に相談があった。すでに子供も巣立ち、夫婦二人の自邸もあることから、セカンドハウスとして計画することとなった。
<表門より望む>
敷地は南北に大きな段差があり、北側にあたる上段部に家を建てることで、より豊かな眺望を獲得したいと目論んだ。北側に道路が取り付くことから、家の北側を駐車場としてなるべく南に寄せて建物を配置している。北側道路には、高さをもった表門を開けて道路からの視線を遮るとともに、門を潜った途端、この地ならではの景色が眼下に望める展開を狙った。表門は門柱を立てた両開き戸のシンプルな形として栗材で整え、門扉は栗のナグリを詰め張りとしている。
<下段の敷地より建物を見上げる>
建物は南面する全てを居室として、景色を存分に取り込む。そのためワンルームの間取りとし、それに浴室などのサニタリーを付属する単純な間取りとなった。
また景色を取り込む一方、非日常の楽しみを満喫できるよう、広々とした石張りのテラスを設けて芝庭とつなぎ、一部にウッドデッキを張り出すことで、景観への視覚的なアプローチに寄与させた。
(つづく)
(前田)