新春のお慶びを申し上げます。旧年中お世話になった皆さまに御礼を申し上げるとともに、本年も変らずお付き合いくださるよう改めてお願いいたします。
今日から仕事始めで机に向かったものの、なかなか手が動かない。頭ではやらねばと発破をかけるが、歳追うごとに身体はおぼつかない。例年のごとく暮れから年明けにかけてはやることが多く、それでも今日にいたってようやく日常を取り戻せたようだ。

<玄関正面を見る>

<玄 関>
昨年はこれまでになく仕事の合間ができて、ようやく重い腰を上げて自宅の改修に踏み切った。家人らも呆れるほど痛みがひどく、紺屋の白袴を地で行く惨状だった。この家は京都から帰ってきたとき、実家の南隣の古い家が売りに出され、それを買い求めたものだったが、子供を育てる家だからと手入れもせずに過ごしてきた。

<玄関土間から玄関庭を見る>
一昨年、伊勢の事務所をたたんで戻ってからも、地方での仕事が続いて家を空けることも多く、自分の家ながら見ることもしなかった。両親にもしものことがあれば、二つの家を壊して新築をと、兼ねてから思っていたが、幸い親も元気に暮らしていて、それに比して我が家の惨憺たる状況に、もう待ったなしと手を入れるにいたった。

<玄関見返し>
古い家で使われていた新建材も寿命は短く、接着剤の劣化で各所に剥がれや脱落があり、改めて家をつくる素材の大切さが身に染みた。それでも実家を作った地元の大工が建てたもので、骨組みがしっかりしていたのが幸いだった。敷地も家も小さなもので大したこともできず、子供だましの改修だったが、思うところを小さな空間に詰め込んで形にした。

<和室の床と坪庭>
古い家の躯体はそのままに、多少の構造補強と化粧を施すも、埋め木などは敢えてそのまま見せた。古いものをどのように整えていったか、痕跡を残すことで子供たちへのひとつのメッセージにもなればと思ってのことである。所々の柱には子供の背丈を刻んだ傷や、何かをこぼしたシミ、蟻に喰われて腐食した箇所もある。それら小さな記憶をもとに、育った場所に思いをはせるよすがとなればと願っている。

<リビングから庭を見る>
実は恥ずかしながら、家があるこの近辺では全く仕事をしておらず、近隣の工務店さえ知らなかった。そんなときに、この町に根をおろして木の家をつくってきた蓮見工務店と巡り合った。先代が起こした工務店で、すでに50年以上も看板を背負っている。社長専務をはじめ大工もとても熱い人で、下職も負けずとつわもの揃いとあって、心地よく仕事を任せられた。専務は建築家でもあり、細かいところにも行き届いた仕事で応えてくれ、仕事の話を肴に一献酌み交わす楽しみも得た。

<和室からリビングを見る>
杉の質感が好きで、かねてから我が家でも使いたいと思っていたが、この近辺では杉の良材が手に入らない。そんなとき、いつも仕事をしている青森の大山建工がひと肌脱いで杉材を提供してくれたのはありがたかった。丸太や天井材は京都の辻計銘木、家具は高山の山王企画、庭は宮城の福清緑化、加藤さんが駆けつけて整えてくれた。これまで仕事をしてきた多くの仲間の支えに感謝しつつ、彼らとの想い出を刻むことができたのも嬉しい。

<玄関周り夜景>
家の各所に配った行燈は、伊勢での建築に用いた私のデザインしたものである。家全体の光量を絞って夜の灯りの楽しみを作りたかった。ほぼ狙い通りで昼間とはまた違った光景を見せてくれる。とかく日本で作られる家は、昼間より夜の方が明るく、それでは夜の楽しみを奪いかねないと思っていた。点在する灯りが醸してくれる雰囲気は格別である。

<和室~リビング夜景>

<リビングから見る夜景>
明日からは本来の仕事に戻って、まずは宮城の東松島で計画している美術館の実施設計に望む。今年も何かと忙しくなりそうだが、本欄で小さく発信していければと思っている。
本年も宜しくお願い申し上げます。
(前田)