昨今の時勢で自粛が続き、3月末から家に閉じこもっている。
まさかこれほどになるとは思わなかったが、鳥のさえずりで目が覚め、庭の花を見ては春を感じ、すでに新緑まぶしい季節を肌で感じるのも悪くはない。時間を自由に使えることも、価値観を変えれば楽しいことなのだと実感している。
設計を依頼される中で、建築を提案することはもちろんだが、家具も併せて提案してほしいといわれることがある。自らが好むものを、突き詰めて空間にしたいと思っている施主が多くいてくれるのは、私にとっても嬉しい。
人がそこで佇むためには、何かしらの道具が必要で、かつての和室のように畳だけを敷き詰めればいいというわけではない。その点、我が国は家具という概念がなく、道具をその都度に持ってきては、その場にふさわしい室礼を拵えてきた。
ちゃぶ台を置けば食卓に、それを片付けて布団を敷けば寝室にと、室礼を変えることで暮らしの空間を整えてきた歴史がある。
木の建築を主にしていると、どうしても日本的な空間を求められる向きが多いが、今の暮らしにとって家具は欠かせない。
家具の中でも椅子はとても重要で、空間に佇む行為と座るという行動は表裏一体でもある。座り心地といえばそれまでだが、椅子には座面の触感や肌触り、背で感じるゆとりやひじ掛けのぬくもり、座面の高さや角度、座の大きさが及ぼす包容力など、直に人の五感に訴えるものだからだ。
空間をどう感じ取ってもらいたいかを、この椅子の小さなディテールにまで及ぼすことで、より深くこの場の実感を訴えられる。
もちろん、卓やカウンターなどとのバランスが大切なのは言うまでもないが、建築では使えない色なども家具では使え、それらが共鳴してひとつの空間を形作ることができるのは、何よりの醍醐味である。
そうしたものだけに椅子の設計は難しく、そう簡単ではない。
まだ私などは椅子を語る資格もないと思っているが、それでも試行錯誤でこれまで数だけは多く作ってきた。
写真で挙げたのは、福岡の鮨店で使う試作品である。
畳の上で使うこと、手荷物を椅子の下におけること、小さな部屋なので建築を邪魔しないことなどから、極力細い材で、指物技術を駆使することを前提に設計してみた。
もう少し悩みたいが、こうしたときが建築を作ると同様に楽しい瞬間でもある。
(前田)