伊勢の町家「伊賀くみひも平井」<竣工2>

先日の台風は伊勢でも驚く被害が出た。
幸い事務所は被災を免れたが、居合わせたホテルは翌日も麻痺していた。
自然の威力を目のあたりにすると、改めて人の脆弱さを痛感する。
被災された多くの方に、重ねてお見舞い申し上げたい。

画像

                  <みせ土間を望む>
伊賀くみひもの続きを。
まず設計として、単なる店として作るのではなく、伊勢の町家を伊賀の人が佇まいにほだされ商いの家にした。そんな風情が、おはらい町の店として相応しいのではないかと、それが最初からの提案だった。
かつてあった建物も伊勢の町家であったし、大空間に商品がただ陳列してある店にはしたくなかった。
その気持ちを受け入れてくれて、この建築になった。
間口に比して奥行きが長い敷地は、まさに町家ならではで、できることなら、隣の五十鈴塾右王舎とも接続させ得たら、互いの交流を通じた使い方も可能ではないか、そんな思いも提案に盛り込んだ。

画像

                  <椿が植わる中庭>
真中に中庭を取って、前後の建物をつなぐ。手前道路側はみせとしての作りで、奥は私的な生活空間と仕事場に見立てている。
みせは全体を土間とし、2階の床を根太天井として、床組をそのまま表している。柱と胴差は栂を用い、胴差は1.3尺から1.5尺の大材で固め、厚さ1寸の床板を張って水平の剛性を高める。これは軒高を低くした場合、少ない懐でいかに天井高を確保するか、といった実用面からも来ている。
軒の高さは14.5尺で、以前にあった建物に準じている。おそらく、このあたりの寸法が、かつてこの地の標準寸法だったのではないだろうか。
そうなると2階は極端に低くなる。こうした町屋の2階を厨子2階(つしにかい)と呼んで、ミセノマの真上にあたる部屋の天井はかなり低い。かつては物置や使用人の寝泊まりに使われていた。

画像

                <通り土間 座敷とへっつい>
奥は2つの続き間として、応接や座敷を使った催しなどに対応する。またみせから続きの土間を、そのまま通り庭として裏まで通し、へっついや水場、水屋ダンスを配して”だいどころ”とした。通り土間は2階まで吹抜き、へっついの煙を上部に逃がすとともに、隣家で妨げられる光を上方から取り入れている。
また通り土間の傍らを仕事場として、高台という組紐を編む椅子式の木製台を置き、糸ダンスを壁面いっぱいに仕込んだ。
この仕事場の先に、五十鈴塾と双方で使える井戸庭を設け、両方の建物をつないだ。文化的な要素の高いふたつの建物であるから、きっと将来にわたって相応しい交流が生まれるだろう。
  (前田)

画像

                <仕事場の板間と井戸庭>