梅雨に入ったというのに、一向に雨らしい雨がない。
現場にとっては嬉しいが、季節らしさが少なくなっているのは寂しい。
暫く出張が続いたが、ようやくこの数日、机を前に座っている。
<福聚寺参道から望む>
福島三春の福聚寺も、順調に工事にかかっている。
去る5月に、上棟式が行われた。
以前も書いたように、かつては庫裏と書院が一体となった平屋の茅葺き屋根の建築だった。書院は江戸後期の建物で、柱が杉の面皮で作られており、皮目がきれいにひかってあって仕事もよかった。
その書院を残しつつ、古い構造体を再用して、2階建ての建物として作り直すという、複雑な仕事に取り組んでいる。古い建物は石場建てとあって基礎はない。その点、地盤は悪くないのだが、2階建てとするには地耐力が足りなかった。
やむなくコンクリート基礎で補強するため、古い建物をあげ家し、基礎を打って下げ戻すという作業が必要だった。
米沢の吾妻組があげ家を請け負ったが、大工が敷いた土台に、寸分違わず建物を下ろしてくれた。壁にヒビひとつ入らない見事な仕事ぶりだった。
<上棟式 祭壇>
設計にあたっては、高さを抑え、かつての佇まいを残すことに努め、池に面した庭の開口を大きく取ることで、これまでの庫裏とは違った、現代的な感覚も取り入れたいと思った。
そのため、既存の構造体に密着しながら新設材を絡めないと、全体の形が整わない。下ろした建物を改めて実測したところ、設計寸法とぴたりとあって、胸をなでおろした。
棟梁の高橋さんは図面の意図を良く捉えて、刻みに反映してくれた。材の継ぎ手も見事で、会った途端にほころんだ笑顔を見せてくれたが、これでどうだといった自信も反面あるのだろう。監督の手塚さんも、施主の思いを汲んだ仕事で応えてくれ、現場がとても明るい。不思議なものだが、いい仕事ができている現場は、どこも雰囲気がよい。
やはり建築は人が作るものなのだ。
<上棟にあたっての和尚の香語>
上棟式は和尚の法要のあと、工匠による上棟の儀が執り行われた。私も、これほど厳粛な儀式は始めてで、100人を超える参列者にとっても、思い出に残る式典だったに違いない。
鳶の西田さんが、自慢の木遣りで締めてくれ、引き続いて行われた餅撒きでは、図らずも壇上に載せていただき、「子供のような顔でしたね」と、みんなに笑われるぐらい楽しかった。
直礼では和尚さまはじめ、これまで仕事に携わった面々と杯を酌み交わし、奥さまを筆頭に、女性陣の奮闘のおかげで、参会者一同、揃って言祝いだ素晴らしい会となった。
(前田)
<餅撒き>