福岡の西中洲で鮨店が完成した。
3月はじめに開店を向かえ、順調な滑り出しを向かえているようだ。
店主は堺さんという、まだ三十代の若者で、誠実な人柄が姿勢から伝わってくる希有な人である。
<みせ入口を見る>
ことの発端は、昨年5月の電話で、内装だけれど引き受けてくれるかというものだった。もちろんと二つ返事で応えたものの、仕事の遣り繰りをどうするか迷いがあった。
すぐに見にいった場所は些か条件が厳しく、意見を求められたが応えに窮した。本人もまだ決意が定まってないかに見受けられた。
しばらく経って、別の候補が見つかったと、弾んだ声で電話があった。しかし、そのころになって私の仕事が急に多忙を極め、9月に入らないと何も出来ない。それでは迷惑だろう、いやそれでも待つと応じてくださったものの、テナント契約のことは承知していたし、内心、心を痛めていたと思う。
ようやく時間を工面して福岡に行くと、ご夫妻とも覚悟を決められたようで、会って話す言葉が以前より生き生きとしていた。
すぐさま現地を見て、場所を移し、要望を聞いた。これまでふたりで話し込んできたのだろう。次から次へと溢れる思いがとめどなく続く。目を輝かせ、溜めてきた思いを吐き出すのに精一杯といった印象だった。
堺さんは、けして自慢めいたことをいわない人だが、きっと良い鮨を握るのだろうと、そのとき思った。
<アプローチと待合い>
立ち帰って、すぐに書いた図面が気に入られた。
できたものを見ると、初回の提案がほぼ受け入れられたのが分かる。それでも、ひとつずつ納得を得るため幾度か通い、確かなものへと固めていった。
基本設計から、すぐに実施設計へと移ったが、問題は施工者である。
以前、福岡で建てた料亭の業者に声を掛けるか迷ったが、ふと頭をよぎったのが高橋さんだった。
高橋さんは、長崎に本社をおき、九州一円に展開する谷川建設の若きリーダーである。これまで2度、御社の研修に呼ばれて話しをしに行ったことがある。
容姿端麗明朗快活で、相手の胸のうちにすぐさま飛び込める人である。また谷川社長はじめ、社員一同快い人ばかりで、伺うたびに高らかに杯を上げてきた。
しかし堺さんの諒解を得て話したところ、手に負えるか分からない、遠慮したいという。水くさい、考え直せないかと問答の末、最後は社を挙げて、勉強と思って取り組みたい、是非にといって快諾してくれた。
時間がなく決断を迫られたとき、これまでの縁が強い力で支えてくれる瞬間がある。待ってくれた堺さんも、快く請けてくれた谷川さんも、ともに不思議な縁で結ばれていたとしか思えない。
私にとっても、思い出深い仕事となった。
(つづく)
(前田)