実施設計に

秋もしだいに深まり、庭のハナミズキも紅葉が始まった。
家にいるときは、私が落ち葉拾いをするのだが、一本の木にこれほどの葉があるのかと驚かされる。
今年もさっそく、外箒を新調してその日に備えた。

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            <駿河屋 大階段より吹抜全体を望む>
このところ、ひと月ごとに出張と実施設計を繰り返している。
6月8月は籠もってふたつの実施を纏め、またこの10月からは別の実施設計に取り掛かっている。書くときはなるべく出張を断り、ひたすら机に向かう。一日でも抜けると、それまで積み上げたものを取り戻すのに、数日掛かるからだ。
かといって、集中して取り組んでも若い頃の半分ほどの進捗で、書いては立ち、書いては鉛筆を置きと、持続力も格段に落ちた。
自慢の眼も老いてますますひどく、眼鏡を掛けねばもう何も見えない。埃やゴミも分からぬ代わりに、いま置いた眼鏡や何処にといった笑い話も日常茶飯事である。ましてや、書く図面の途中で電話に出ようものなら全て仕切直し、老化は待ってくれないものと知った。
いま掛かっているのは、成田山新勝寺の隣にある江戸時代から続く老舗の建て替えである。HPを通して依頼を戴き、先日基本設計を確定、漸く実施設計の運びとなった。
新勝寺に接する敷地をどのように生かし、老舗の風格と新たな挑戦を建築としてどのように表現していくか、これまで若旦那と膝を交えて話しを重ねてきた。
幸いにして、この界隈はまだ町並みとしての風格を失ってはいないが、それでも新たに作られる建築は味気ないものばかりである。そうした意味でも、現在の町並みに対し、一石を投じる建物をとの思いも強く、地域を牽引していけるような建築にしたいと願っている。

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            <福聚寺 池庭より庫裏と旦過寮を望む>
その前、8月は福島三春にある禅宗寺院の庫裏を書いた。
さまざまな事情もあった上での急な依頼だったが、江戸後期に建てられた書院を含む庫裏の建て替えで、書院の古材を生かしながら庫裏に仕立てるという仕事である。
三春の滝桜の流れを汲む見事な枝垂れ桜が境内にあり、それを望む格好の場所に庫裏は建つ。こぢんまりした池の背景には山が迫り、禅宗ならではの厳しさも感じる。
その風景を取り込み、古い書院を織り交ぜ現代に生かしたいと取り組んだ。
和尚さま奥さまとも忌憚なく意見を戦わせ、私としては珍しく基本に掛かって数ヶ月の内に実施設計を挙げた。
いずれも、実施設計は施主との信頼が固く結ばれないと書けないものである。
意気投合して一気に決まる場合もあれば、紆余曲折の末、次第に集約されて決まるものもあって、過程はそれぞれだが、この時点で互いに揺るぎないものが構築されていないと、やはり建築にはならないのではなかろうか。
設計事務所としての業務が書かせるのではなくて、信頼に応えるという純粋な気持ちが、図面を書かせるものだと、実施設計に向かうたびに気付かされる。
まだ書き出したばかりで、全体像は掴み切れていない。
基本設計で思った空間を、どう寸法に置き換え具現化していくか。また細部に命を与えるディテールをどう生み出していくか、悩む日が続く。
今年はこれが最後の実施設計とあって、いまの自分を徹底してこの紙に投影したいと思い取り組んでいる。
  (前田)