痛みに振り返り

ぎっくり腰をやってしまった。
この3日に料亭の上棟式があり、前日入ったホテルで翌朝、起き抜けにやった。
以来この数日間、動くたびに走る激痛にはホトホト参った。
昨日から漸く医者に掛かり、今朝からは少し自力で歩けるようになった。

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          <机の前に張っている進行中の仕事(一部)>
いま進行している現場でのことだが、ひとつ意図と違うことが生じた。
図面で明確に書き切れていない部分なので、私にも責任があるのだが、大工が長年の慣習で納めてしまったようだ。
意味するところを伝え、直せるものなら直してほしいと、現場監督に伝えた。
地域には、そこならではの造形があって、木造建築をやっていると自ずと直面する。察するところ、気象条件から守るための方策だったり、地域に住む人間関係の中から生まれてきた形だったりと、建築は、個人の好き勝手だけで作られてこなかったとわかる。
そうした要因が、長年積み重なって慣習となり、固有の形として地域の建築を育んできたのだろう。
外で仕事をする機会が多い私にとって、そうしたことに触れると途端に嬉しくなる。先人の込めた意図が、その造形から伺えるからだ。
その反面、慣習だからとその意図を理解せずに、形だけ真似る悪慣習も多い。
今回がそれである。
この動けない数日が手伝ってか、ぼんやり仕事を振り返っていた。
私も偉そうなことはいえない。
忙しさにかまけ、つい昨日の自分をそのまま出していたりする。かつての自分の模倣や、小さな成功を寄せ集めて糊塗しようとしたりする。さらに、自分を甘やかす。楽をする。それでいて人にいい顔をする。
つくづく怠け者だと、反省しきりである。
そう戒めながらも、腰の痛みを我への鞭に、随分待たせてしまった松戸の計画を仕上げ、先日施主と話しながら作った弘前の計画を纏め、詰めに入った仙台の住宅も、妥協しがちな自分を叱咤し、再提案を送った。
たいしたことはない、誰も気づかない。その部分に限ればそうかも知れぬが、そうしたぬるさは本人の気づかぬうちに、すでに建物全体に及んでいる。
何かが足りない。でも、いい仕事がしたい。
さてもこの腰の痛み、何と身体の芯に響くことか。
  (前田)
追、この週末、大切な用で北海道へ行く予定をしながら果たせなかった。
   ひとえに我が不徳とするところ。Tさん、Sさん、深くお詫びします。