料亭の建築ー現場とを繋ぐ線

年頭の誓いむなしく、まったく更新が覚束ない。
各地の現場監理に赴く傍ら、移動やホテルで計画案件を睨む日が続いている。
今は、住宅を中心とした計画が多いが、住まいはいつも難しい。
住む人を左右するだけに悩む線が交錯し、なかなか思い切りがつかない。

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連休前に材料を選んだ青森の料亭も、月末には建て方が始まる。
構造に難しいところはないが、敷地の状況から厳しい寸法になるところが多い。駅に近い立地で、かつての町家のように間口が狭く、奥行きが長い。ゆとりがないこともあって、各所の寸法を抑えたことが、却って濃密な構成になったようだ。
月末の打ち合わせに先立ち、今日は午後からディテールを詰めだした。
気持ちの切り替えが難しいが、いったん書き出すと没入してしまう。押さえねばならない力点や木作りの要領、面の取り方や細部に至る寸法を決めこみ、施工の要点を指示していく。
実施設計で全体像は掴めているので、各所の納まりを片っ端から書いていく。
以前にも書いたが、この施工図が、私と現場を結ぶ生命線である。
設計図だけでは分からない微細な納めは、それこそ気持ちや感情の発露に似て、建築に情感を注ぐ大事なエッセンスとなる。
納まりは正直で、納まらないものを無理強いしても、造形にはならない。設計時にあやふやにしたところは、ここで必ずツケが出る。
今から思えば、若い頃の図面は拙かったろう。形にはなっても、感情の表現とはほど遠いものだった。技術や知識としての勉強も必要だが、それだけでは作り切れないものがある。
強いていえば、漂う雰囲気は、その程度の図面では生まれようもないのだ。
感性を振りかざしてみても、とても情感溢れる建築は現れない。柔らかい鉛筆のデッサンも必要だが、硬い鉛筆でカリカリ音を立てて引く図面もないと、とても建築にはならない。
このディテールが積み重なって、初めてそこはかとない雰囲気が立ち上る。
建築は、とかく全体から細部への思考過程で形作られることが多いが、手の触れる細部から、全体の空間へと波及する力も、ティテールにはある。
我が国の木の建築に、ときにそれを感じる。
空間を垢抜けさせているのは、必ずしも全体のプロポーションだけではない。材と材が火花散らしてぶつかる姿が、明らかに空間を高めている事例もある。
木を扱う醍醐味というか、可能性のひとつがここにある。
明日昼からまた長い出張にでるため、意識を投じて、今晩は書けるところまで書くつもりである。
  (前田)