伊勢の実施設計も終盤を迎えたが、この5日間はやむなく出歩いている。
盛岡から青森へ周り、一昨日は仙台で打ち合わせ、昨日が石巻で、今はそこから乗り継ぎ、小田原へ向かう車中でこれを書いている。
今日は名古屋まで戻って泊まり、明日は伊勢での打ち合わせに望む。
<盛岡の町家 通り土間からリビングを望む>
昨年暮れに相次いで、東京S邸と盛岡K邸の建主さんからお招きを受けた。
どうしても打ち合わせが重なっていて、東京は伺うことができなかった。昨年新たな家族の誕生もあり、久しぶりにお会いできるのを楽しみにしていた。
盛岡は私の都合に合わせて下さるという。
果たしていつ伺えるか、追われる仕事を数えつつ、暦を睨んでいる。
盛岡K邸では、リビングから南に拡がる林を望むように窓を開けたのだが、殊に冬の雪景色が絵のようだと聞かされていた。もしかすると、その景色を見せようと企図されたのかも知れない。
仕事後も、こうして頂く厚誼には、ただただ感謝している。
両邸とも八戸の家を見て依頼された仕事だったが、ひとつの仕事が新たな縁を育む不思議も感じている。
特に住まいの評価は、依って個人の趣味志向に左右されるだけに、万人が納得するものなどあり得ない。その人の生活や、いってみれば人生観と密接なだけに、基準はあくまで曖昧である。
その中にあって、建てたひとつの家が共感を生み、新たな依頼をいただけるとは、まさに建築家冥利に尽きる。
上棟の祝いに、この出張冒頭、盛岡へ行った。
こちらは例年より雪が少ないらしい。
日陰こそ雪が残っているものの、私が見ても、いつもの盛岡の冬とは違っていた。
昨年依頼された盛岡の家が暮れに建て方を始め、このたび上棟を迎えた。
敷地は盛岡の中心地で城にほど近く、江戸時代から職人町として栄えたところである。周辺には少しだが古い建物も残っていて、往時の面影を伝えている。間口が狭く奥行きが長い、典型的な町家である。
以前あった建物も町家建築で、通り土間が奥庭まで続き、土間に面して和室が連なっていた。内部は薄暗く、町家特有の陰影が漂っていた。
代々住み継いだ家だったが、興味深くも老朽著しく、建て替えの前提で計画に取り掛かった。
家族は、お母さんに若夫婦、子供ひとりの4人家族である。
絵は、玄関から入って見たダイニング~リビングである。
新たな家も、通り土間を奥庭まで通し、ここを吹き抜くことで日差しを奥まで導こうと考えた。先日、上棟なった姿を見て些か安堵したが、果たしてどのような空間に仕上がるか、これからが正念場だ。
これも盛岡K邸をご覧になって、我らに依頼された仕事である。
(前田)