料亭嵯峨野 竣工によせて

竣工して3ヶ月半が過ぎたが、多くの支持を得て好調な滑り出しと聞く。
携わってきた人間として、これほど嬉しいことはない。
来る人ごとに熱心に見られていくそうだが、何とも面映ゆく落ち着かない。
仕事には人柄が表れるというが、我ながら怖いことでもある。

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               <中庭から椅子席を見る>
何より工事に携わる人たちに恵まれたのは幸いだった。
淺沼組九州支店、岩切武安所長の采配には目を見張らされた。この短期間でこの質を確保しつつ、各業者、職人を纏める力量は見事だった。生粋の九州人といった風貌で、教えられることも多かった。
所長の肝いりで、施工図一切をまとめた平松装備藤原正巳はまだ若いものの、その緻密さは群を抜き、私の意図するところを明確に伝える役割を果たした。
大工棟梁を努めた中里政義は、その人柄で並みいる職人を束ね、力強い結束を生んだ。棟梁として、仕事に向かう姿勢の厳しさがみなを奮い立たせ、全体の質を向上させたのは疑いない。
この3人の連携が中核となって、現場がいい方向へと向かった。
良いものを作る、胸には秘めても、工期コストについ思いは抑えられてしまう。
それがこの仕事に触れ、眠る思いが俄然息を吹き返したかのようで、口うるさい指示にも諾々と従い、各人の精一杯を投じてくれた。
一流如何に依らず、誠意こもった仕事が引けを取ることはないだろう。

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                <主庭から那珂川を望む>
設計にも紆余曲折があった。
さまざまな要素が絡んでのことだが、実は途中実施設計を書き直している。思いの丈を込めたものを書き直すのが、これほどつらいものとは思わなかった。
理屈で分かっていても、心理的に身体が追いつかない。
辞めた方がいいと、事務所の若いのにも忠告された。
そのとき、施主である女将若女将とじっくり話したのがよかったのだろう。互いの信頼を心からのものとし、そこから沸き上がる気持ちがこの建築を結んだ。
信頼の絆は、全ての根底になければならないと実感させられたことでもあった。
建築でいうと、数寄屋という言葉を使わずに表現できないか、とも思ってきた。
茶の湯が果たした役割は大きく、それは精神性をも含んでいて今や日本の代名詞となった。数寄屋はそこに生まれ、いまも深く茶の湯と関わり作られている。
しかし作ろうとする建築はそれとは別に、茶に括られたくないという思いがある。
震災を挟んで実感したことでもあるが、私たち日本人の生き方に結びついた優しさや力強さといったものは、茶に限ったことではない。
そうしたものを形にはできないだろうか。
貧しい表現力に磨きをかけ、さらなる展開を模索していきたい。

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                   <大広間側面>
思えば竣工までの間、さまざまな人の協力があった。
これも嵯峨野が培ってきた財産で、積み重ねてきた信用は大きい。
そこに足踏みする魅力があるならば、まだ花柳界は生きていて、理屈の世界に限りが見えてきた今こそ、果たす役割もまたあるのではないか。
さまざまに集まる縁を結び、あるいは繋ぎなおして、別の新たな価値を生み出す力など、この場だからこそできる可能性もあるように思う。
嵯峨野に触れて思うことである。
これからの料亭をどうつくるか、若女将の今後に大いに期待している。
このたび嵯峨野の庭に、桜が下賜されることとなった。
雨情しだれという枝垂桜で、近々植樹されると聞き、慶賀にたえない。
縁を繋いでなった普請の、まさに画竜点睛となった。
設計監理     前田 伸治
           暮らし十職 一級建築士事務所
施 工       株式会社淺沼組 九州支店
              平松装備株式会社
              株式会社大山建工
              株式会社九電工
家 具       株式会社ヤマコー 村山千利
銘 木       株式会社九銘協            
  (前田)