今年の残暑はさすがにきつい。
前回後、さらにもうひとつ実施設計を挙げ、終わるさま出張に出た。
暑さも手伝ってか、疲労感が大きい。
今も新幹線の車中で、これを書いている。
<玄関から格子戸越しに土間を見る>
ひと通り要望を聞き、計画に取り掛かる。
大家族が寛げるゆったりしたリビング、子供が小さいので家中見渡せるキッチン、客間としての和室に、寝室と大部屋の子供室。ご主人の仕事柄、大量の本が収納できる書斎などが、主な希望だった。
また「八戸の家」で試みた土間が、ぜひとも欲しいという。
この土間、思ったより好評で、各方面からも評判がよい。
暮らし方に融通が利かないと使いづらい側面もあるが、逆にいえば思い次第でかなり自由に使える。
八戸の家では玄関に接して土間を設け、二方を庭に接した。全て解放されるので庭との一体感が大きい。さらに土間と繋げて和室を設けたことで、より多彩な使い方を提案した。
来客の対応はもちろん、多人数での催しや友人知人との交流など、土間だからこそ可能な使い方もあるだろう。
今の家で消えかけている、パブリックな部分を取り戻したいと思った。
人と交わることが人間関係の根本とすれば、現代の家での暮らしには、それが欠けているように思う。人を招く家づくりは、ある意味日本家屋の原点でもあって、家族の行事というハレの場を、何より大切にした証だろう。
冠婚葬祭とはいわないまでも、パブリックな空間から生まれる人との接点は、必ずや暮らしに幅と豊かさを与えるはずである。
八戸の家の完成後、これを見た人の中には、バイクを飾りたいとか趣味の部屋に使いたいなど、さまざまな声も聞かれた。
普段、目にしない空間からか、却って積極的な使い方を啓発させたようだ。
<漬物屋の土間>
かつて日本家屋では、こうした土間空間は珍しいものではなかった。
むしろ、家での仕事上、必要不可欠な場所であった。
実際、使われている例を今も目にする。
またこの土間には、大抵だいどころがあって、井戸やくどが設けられていた。
仕事と生活、というより、いわば生きるということに直結した空間であった。
それは座敷と違って、日々使うということが前提であったから、堂々とした趣きも漂っていた。
この「使う」ということが、住まいなのだと思う。
家は住まうという積極的な行為の場所であって、暮らしは床の間の置物ではない。ましてデザインだけで暮らしは成り立たない。
<土間席から庭を望む>
玄関に面した格子戸を開けると土間が接し、そのまま庭へと一直線に繋がる。
ここでも庭と一体になる。
リビングとは大きな引込み障子で接続し、広狭自由な使い方を可能とした。
果たしてここを、どのように使いこなされるのか、お目に掛かって伺う日を、今から楽しみにしている。
(前田)