南西に向けて道路が取り付く角地で、正面奥がおかげ横丁になる。
敷地がおよそ120坪、若干東西に長いもののほぼ正方形に近い。
先頃まで駐車場だったところだが、建物が建つと景色が一変する。
これも建築の持つ力なのだろう。
<建物正面の妻面を見る>
西の玄関口としての室礼に加え、横丁の機能補完が主たる用途となる。
大きさが求められる倉庫・配送部分の機能を、敷地の充分な面積に充て、用途がらこの部分を鉄骨造とし、大空間を確保しながらエレベーターで上下階を繋ぐ。
また道に沿った矩の手を”みせ”とし、地域の玄関口としての室礼に充てた。どのようなみせにするか、議論沸騰されたようだが、最終に茶屋が選ばれ、来勢人を迎えることとなった。
この部分は木造として、全体を整えながら周辺佇まいとの調和を図る。
景観条例では高さが10mに制限され、かつ地域に相応しい佇まいが求められる。条例の要求は、これまで地域で作ってきた建築線上のことで問題ないが、主たる機能であるボリュームをどう納めるか、道に沿った木造の佇まいを如何に全体に馴染ませ、玄関口としての正面性を演出するか。
相反する課題に、暫し葛藤があった。
<南側 平入り外観>
そこで、正面に伊勢町屋の特徴的な、切り妻、きざみ囲いの外観をみせ、その妻を幾重にか重ねることで、全体のボリュームを分散させた。大小の庇を設えながら、各所にさまざまな格子を散りばめ、視覚的リズムを鮮明にすることで軽減を計り、穏やかさを狙った。
また道路の斜線制限から、妻面を後退させる必要もあった。
建基法によって、道に面する建物高さは、道路の幅員によって定められている。
一般にこれを斜線制限と呼んでいるが、高い妻面がその後退距離の限界で、景観条例の高さとの接点でもあった。
法規上は3階となり、妻面最上部の窓が非常用進入口を兼ねた3階の窓になる。3階は屋根裏にあたるが、屋根面が大きいため、充分に面積が取れる。
南は平入りの外観として、屋根を登らせた。相変わらず木造部分の軒は低く押さえているが、それでも登らせた倉庫の棟で、制限高さの限度となった。
平入りの上階は船枻で桁を出し、太めの格子を平打ちにして、間口7間半の佇まいを作っている。みせ部分は奥行き2間半を2階建てに木造で組み、主に米栂、地杉材を用いた。
みせの南側は根太天井の床組みを現わし、西側は屋根裏まで吹き抜いている。
特に凝ったこともないが、全体の木組みが雰囲気を作ったようだ。
<南側みせ内部>
写真からも、各所厳しい納めとなったが、全体に形になったように感じている。
鉄骨との混構造も、結果的には機能上有効だったし、コスト的なバランスもうまく納まったようだ。
全体を鉄骨で作れば工期もコストも楽だが、張りぼての薄っぺらさでは、とても地域の建築には繋がらない。
要求に従う機能が大半を占める仕事であっても、作る建築と忠実に向かい合うことで質は確保できる。こうして機能を踏まえて木造を組み入れることで、鉄骨も生きた使い方ができたようだ。
各所の鬼瓦は三州、梶川亮治の手による。
それぞれに表情溢れる造形で、ユーモラスなものも交え、趣きある猫が載せられた。猫は横丁のシンボルで、入口には山形の作家、もりわじんの猫も置かれ、来る人を迎えている。
また、家具全般と照明は、村山千利の尽力によった。
度重なる紆余曲折を経たが、みせの姿を反映させながら、村山組の総力を傾けて納めてくれた。
<入口周り>
確認申請の日程が圧したせいで、大工衆には相当負担が掛かったと思う。
その中にあって、監督中瀬忠典の機転が各所で光り、齟齬なく全体が納まった。
たびたび晩遅くまで、事務所に来て貰っては話し込んだことが、互いの疎通を生んだと信じている。
棟梁とも、竣工式後にゆっくり話をしようと前日約束したが、最後で逃げられた。
現場を手伝ってくれた大工のもとへ、恩返しにと逆に手伝いに行ったらしい。
「私らなんかがおこがましい・・・・」
そういって照れ笑う、棟梁村山さんの人柄が偲ばれた。
(前田)
建築主 有限会社 伊勢福
設計監理 前田 伸治
暮らし十職 一級建築士事務所
施 工 日本土建株式会社 担当 中瀬忠典
家 具 ヤマコー株式会社 担当 村山千利