T邸竣工ー5.(まとめに)

竣工したのが今年の6月で、すでに4ヶ月が過ぎた。
施主のTさんには好評のようで、まずは胸をなで下ろしている。
完成間際に開いた見学会には多くの人が来宅し、取材に訪れた複数の地元紙でも大きく取り上げられるなど、木の建築を見直すきっかけにはなったようだ。

画像

                    <夕景外観>
4回にわたって紹介したが、私室についてはプライベートにも関わるので省く。
工務店の多大な努力によって、値以上の価値になったことは間違いない。この後は、Tさん家族がどのような歴史を刻んで行かれるのかを、楽しみにしている。
どの家でもそうだが、作る過程の中に家を成す根幹が詰まっていて、それを施主や作り手と共有することで、家として育っていくと感じている。胎内で栄養を吸収する、誕生前の大切なときに似た思いとでもいおうか。
特に家は、そこで住まう人の生活を大きく左右する。
極端にいえば、その人の人間性をも決め込んでしまうほどの重大さを持っている。家族の団らんをどう考えるのか、家族と食事をどう摂るのか、もっと端的にいえば、一本の建具を開きにするのか、引き戸にするのかによっても随分と異なる。
生活は日常だからこそ、何気ない積み重ねが与える影響が大きいのだ。
恐らくそこで育まれる情緒には、後々に決定的な開きが生じるに違いない。
衣食足った今日だからこそ、真の意味で豊かな生活を獲得するためにも、住まいの問題をもっと深く考える必要があると思う。

画像

                     <吹抜より>
木の家は手入れが大変でしょう、とよくいわれる。
まずはその通りだと答えている。
ただ、手入れをしないからといってすぐに壊れるという意味ではなく、手を掛ければ掛けた分だけ返してくれるのが木なのである。
磨き込んだ床板の肌触りや、材種ごとに違った表情を見せる木目の美しさなど、私たちの暮らしに木は密接に関わってきた。子供の頃、嫌々ながら手伝った拭き掃除も、それが次第に脂分を吸収し、木の素地から桜色へ、それが飴色へと変化していったあの過程は、誰しも興味を覚えたはずである。子供心にも両親が語っていた、檜だ杉だ、欅だ松だといった材種も、自然とボキャブラリーの中に取り込まれ、知らずうちに木を身近に感じていた。
また一度根を絶たれた木を、建築として再び命を吹き込む大工仕事は、まさに木を慈しむことから始まり、自然に対する畏怖と感謝の気持ちを根底に、我々の暮らしを支えてきた。
木を使った家に住むということの中には、このような多くのものが詰まっているように思う。特に子供だったら、その人間形成に与える影響は計り知れないものがあるだろう。

画像

                 <和室より中庭を見る>
しかし、生活に密接に関わってきたはずの家が、いまは身近に感じられない。
どこか他人行儀に感じるのは、私だけではないだろう。
エアコンとかサッシとか、設備的な快適さや手間の掛かるメンテナンスを省いてきた結果、もしかしたら大事な家の本質を見失ってきたのかも知れない。
その失ったものを、もう一度しっかりと捕まえてみたい。
現代に必要な利便性や快適性、そうしたものを受け入れながら、現代の木の家を作ることも可能だと思っている。それは何も、純粋な日本建築だけが受け継ぐべきではないはずだ。
真に豊かな生活を得るためにも、木と身近に接するのはひとつの確実な方法だと思う。
  (前田)
設計監理  前田 伸治
        暮らし十職 一級建築士事務所
施 工    株式会社  大山建工
写真協力  大山建工設計部  黒坂秀紀