茶の湯の露地 2.

亭主の迎付を受け、客は順次、内露地へと進む。
飛石はやがて小さく、打たれた石を追いながら、足の運びに集中する。
期待に背を押され、歩を進める中に次第に神経が研ぎ澄まされていく。
露地は、浮世から清廉な世界へと導く、脱俗のシェルターとなる。

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そのように露地には、歩く中に人を浄化させるほどの気概が求められる。
茶の湯が標榜する世界が、この情景からも伺えよう。
しかし、歩く人の精神を整えさせる飛石など、そう簡単には打てようもない。
露地を作るとは、かように難しい。
幾多の中から使える石を選別し、大小さまざまな石を揃える。
自然に見えるよう同じ石が並ぶ単調を避け、石の表情も見定める。また用である、天端に水が溜まらない、足が滑りにくい、草履ひとつがどう乗るのか、これらも石を選ぶ大きな基準となる。
さらに露地の道行きを決めるには、茶室の見え方や腰掛けとの関係、中門、蹲踞の配置や、働きである水屋との動線など、重なり合う関係性を整理し、慎重に見えない線を描いていく。
用と景色、両方の視点から伝いは決められていく。
飛石を打つには、「膝を縛って歩いて見よ」、と教えられた。
着物着た人の歩きや、年取った人の動きを元にせよ、ということだろう。
なるほど洋服靴履きの大きな歩幅では、とても神経など集中させられまい。
衣食住ならぬ、全ての総合体に茶の湯がある所以である。
伝いの中にふと現れる大石には安心を、小石が続く渡りには緊張も覚えよう。
打つ石と組み方で、与える印象はくだんの如く異なる。
慎重に足の運びを模索し、幾度も歩いては差し替え、向きを調整し、石の相羽を揃え、全体の調子を整えていく。自分の気持ちと向き合い、内なる感情に耳を澄ませながら、ひとつずつ石を打つ。
このように歩一歩と緩急取り混ぜて、茶室への流れが整えられる。

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それは、まさに石を打ちながら、客の心理を誘導していくことかも知れない。
距離は短いが、その意図するところは深い。
先人の足跡を学び、迷いと戦いながら、自らを鞭打ち作庭にあたる。
困難の連続でもある。
  (前田)