五十鈴茶屋裏の市営駐車場は、正月最中もあっていっぱいの人だ。
伊勢の玄関口として、次第にこの場所も定着したように思う。
内宮の式年遷宮も、あと4年と迫ってきた。
伊勢は、遷宮で生まれ変わる。
この市営駐車場から、おはらい町へは地下道を抜けていく。
変哲ない地下道を、現代と伊勢を繋ぐタイムトンネルにしたらどうか、と提案があった。なるほど玄関口としてストーリーが展開され、伊勢の入口に相応しいかも知れない。訪れる人への啓蒙にもなろう。
伊勢文化会議所が主体となって計画が始まり、展示における設計を依頼された。
先々回の遷宮の時、昭和48年に香川県の画家、故 門脇俊一さんの手によって「伊勢参道 おかげ参り・抜け参りの図」が製作された。全長80メートルに及ぶ屏風絵で、見る人を圧倒する。画伯は、「現代の浮世絵師」といわれ、版画を主として群衆を描くのを得意とされていた。
この時の遷宮が画伯の還暦と重なり、その喜びを一気呵成に、80メートルの大屏風を完成させたと聞く。
京都の三条大橋を出て、伊勢内宮参拝までの五日間の旅、宝永年間の伊勢参りの風景を描いた屏風絵である。
描かれた人物は1万人を数え、おかげ参りで賑わった300年前を彷彿とさせる。
この大作を展示しようという運びとなった。
そこで、地下道の長さを活かして、屏風そのままに展示してはどうかと提案した。
本来屏風絵は、屏風として見せることで、絵の奥行きが出る。
関係者からは、絵を見せるなら平板展示にした方が、との意見もあり、展示方法を巡ってはかなり議論の応酬があった。
絵画としての見栄えだけなら平面でいいが、屏風の価値を損ねることにはならないか。
訪れる来勢人の印象や如何に。
自らの葛藤とさまざまな討議の末、当初の意見が容れられた格好となった。
また、屏風原本を展示するわけにはいかない。
そこでこの屏風を、陶板で製作して貰うことになった。
四国鳴門に「大塚美術館」という、陶板で作られた絵画の美術館がある。
とても陶板で作られたとは思えぬ迫力で、私もこれに先立ち見に行ったが、その力量に圧倒した。世界中の名画を集めて、これほどの迫力を持って、一同に集結させたコンセプトは素晴らしい。
この卓越した技術陣が、今回の陶板制作にあたってくれることとなった。
苦心したのが、紙の表現だった。
艶を出さず、白色の中にも和紙独特の濁りを如何に表現するか、苦心惨憺の過程だったと聞く。出来上がったものは、全く焼きものを感じさせない程の、繊細な造形となった。
屏風の折れ具合や、展示場所ごとに異なる角度調整は、図面をもとに現地の摺り合わせを幾度も重ねた。
彼らもこのような屏風での展示は、初めての経験という。
実現には三重県、伊勢市、両行政当局の理解に得るところが大きい。
これらが、訪れる人それぞれの「伊勢」に刻まれ、伊勢がまたひとつ年輪を重ねることを願う。
事業者 伊勢文化会議所
原画製作 門脇俊一(1913~2005)
展示設計 前田伸治 暮らし十職一級建築士事務所
陶板制作 大塚オーミ陶業株式会社
近江窯業株式会社 大小屋
(前田)