職人の仕事(看板彫刻師)

栗田看板舗、創業80年になる老舗である。
昔ながらの手彫り看板を作り続けている。
当代で3代目だが、お父上も健在で今でも仕事をこなす。
6年前に仕事で父上にお目に掛かったのが最初だったが、一刻者といった風貌を宿し、生半可なものは吹き飛ばしてしまう迫力があった。
しかし、人に対する姿勢はとても腰が低いのである。
その目の奥に潜むものを見抜ける人は少ないだろう。
五十鈴茶屋に看板を挙げることになった。
板は事前に仕入れてあったが、何かとこれまで先延ばしになってしまった。
文字は徳力富吉郎画伯が、五十鈴茶屋本店で書かれたもの。
看板板の材質は欅。樹齢250年ほどのものが手に入った。

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彫り文字にするのだが、今回はそれに加え板の地にこだわってみた。
欅の板を砂摺りにし、そこに胡粉(ごふん)を塗る。さらにその塗った胡粉を落とすことで杢目を際立たせる、といった手法を試みたいと思った。文字は緑青。
これで板の地と、文字とが互いにくっきりと浮かぶ。
この看板ならと、栗田看板3代目、栗田浩司に依頼することとなった。
このような仕事ははじめてと、彼なりに試作を拵え研究を重ねてくれた。
ただ、これだけ大きい板を均一な砂摺りにすることは難しく、浩司さんの判断で栃木まで運んで専門業者に依頼することになった。板の杢目具合を見ながら摺り加減を図る。深さが全体に微妙な影響を与えるため、細心の注意を払って貰った。
先日連絡を受けて、地の仕上がり状態を見に行ったが、まずは思った通りとなったようで胸をなで下ろした。これから裏地の処理や周囲の加工、脚台などの細工を経て文字彫りに取り掛かる。
堂々とした看板に仕上がると思う。

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             扁額看板彫刻師 2代目 栗田博治さん
板に彫る看板は、初めに和紙に文字を写すことから始まる。
それを、布海苔で板に貼り付け、その紙ごと彫り進めていく。
深く、それでいて筆のタッチを立体で表現し、文字の勢いを彫り刻む。
今にも動き出さんとする躍動感が、彫り文字の真骨頂であるといっていい。
彫りを待って文字に彩色を施し、和紙を取り除いて完成となる。
看板は、店にとって命そのものである。1枚の看板に店の命運を託し、看板を汚すことを畏れ、多くの人が看板に恥じぬ努力を続けてゆく。まさに偽りない信条が、これを掲げさせるといっていい。
看板を挙げるとはそういうことで、何より己れの所信表明であり、信用の象徴に他ならない。

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              栗田看板3代目 栗田浩司さん
文字のひと彫りに神経を集中し、勢いの中に魂を吹き込んでゆく。
これから背負うであろう大きな使命を刻み記す行為は、きっと自分を抑えながらの仕事であるに違いない。
父上の腰の低さは恐らくその責任への畏怖であり、目の奥に宿る光は、使命を見据えた躍動を、常に生み出す意識が育んだものであろう。
3代目の浩司さんも、必死で父の後を追っている。
素晴らしい手仕事が、これからも多くの信用を育んでいくことだろう。
  (前田)