「日本家屋の暮らしと知恵」 その8

季節や行事によって、普段の部屋がガラッと変貌する日本建築。
講義が行われた五十鈴塾右王舎の建物はどうなっているのでしょう。
具体的に見ていきましょう。
~ ケの空間とハレの空間 ~
簡単に家の間取りをお話ししましょう。
玄関から入る客は、座敷に招じ入れられます。
いま皆さんがいる部屋は全て襖がとられた、いわば「ハレ」の姿になっておりますが、襖が入った本来の空間ではとても奥行きが感じられる空間となるはずです。

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特に玄関から入った4畳の部屋、ここは日中でも光が射しにくい場所から、仏間などに充てられた場所です。また奥座敷と囲炉裏のある居間との間、この部屋はオク庭を眺められることから、主人の居間などに使われていた場所です。
奥座敷・次の間は、来客や儀式などに使う「ハレ」の空間でありました。
この座敷を使うということは、家での重い行事に限られていたようです。

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玄関庭を進むと、ここからはウラ部分。生活色濃い「ケ」の部分になります。
大きな土間は作業スペース。
写真は漬物屋さんの土間ですが、このように作業をするところだったんですね。
日本建築は内部と外部の空間が交錯するところに魅力があるといわれていますが、こうした動きを伴う部分についても同じことがいえます。外部空間が土間を通じて室内まで深く差し込まれる。とても使い勝手のいい空間なんです。
最近では住宅でもこうした空間が見直されているようで、私も一昨年に青森の住宅でこうした土間を持った家を建てましたが、存外好評のようです。
この土間に面して部屋が連なります。
特に写真右側の玄関に近い部屋は、おかみさんや番頭さんなどがいたところで、常に玄関やみせの間に目が行き届くよう窓などが設けられ、様子を伺える配慮がされていました。
また土間には、井戸やクドが設けられ、神さまも祀られていました。

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土間に面して囲炉裏が切られた部屋が家族の居間になった部分です。
ここが生活の中心を担っていたところですね。
またこの2階が、主人家族の寝室になっていたところです。
これらの「ケ」の空間があって、初めて座敷のような「ハレ」の空間が生きているのです。
それらを踏まえた上で、少し詳しく内部を見ていきましょう。
みせの間を「オモテ」とすると、座敷は「オク」と呼ばれる場所になります。
玄関から入った客は、中坪の緑を脇に見て廊下を渡り、次の間から奥座敷へと招じ入れられます。
日本の家屋は大きく分けて二つの顔を持っているといいます。
ひとつは普段の顔で、常の日に家族がくつろいで過ごす、居間とか茶の間に代表される部屋。
もうひとつは、来客や特別な行事のために用意された座敷や客間です。
居間や茶の間が、主として家族が普段を過ごす日常空間とすれば、座敷や客間は冠婚葬祭など改まって用いられる非日常空間、ハレの舞台といえるでしょう。
また、来客など目上の人を迎える部屋は、自ずから上下の座の区別がある形が望ましいものです。その方が心理的にも安定し、座る形も自然に決まります。
その意味でも、座敷にとって床の間はとても大切なものでありました。
床があることによって、座敷には上下という二極の座が設けられ、”主人が客を謙ってもてなす”という行為が、空間として形作られているといえます。
これを対座形式、とでもいいましょうか、家における座敷はそのような行動を規範にして作られてきたのです。
中でも床は、その対座形式の象徴であり、まさにハレの空間を表しています。
床の間についての考察はまたの機会に譲りますが、この床の存在が座敷を大きく位置づけている、といってもいいと思います。

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実は、この床を排除する動きが戦後になってありました。
日常に必要ない、飾る物が限定される、狭い家の中でこれほどの無駄な空間をなぜ確保しなくてはならないのか。そんなことを真面目に考えられた時期があったんですね。
それは取りも直さず、床の効用が暮らしから離れてしまった証なんでしょう。
もはや現代では、床は暮らしを彩るものではなく、テレビや土産物が置かれる場所でしかなくなってしまったのがその背景にあるんだと思います。
私も実家でみる床は、正月以外はいつも同じ物が掛けてあって、そう暮らしの中で光彩を放つ姿を目にすることはありませんでした。
それが京都に行って触れた床が、自分の中のそれまでの床の概念を大きく変えました。
二十四節気といいますが、その時期に合わせるように軸が掛け替えられ、まさに季節を利用した亭主の自由な表現の場が設えられる。床を中心に展開する、そんな楽しい光景を目の当たりにしました。
そうしたものが座敷の中心にある。亭主の表現力が、この座にいる人の心を繋ぎ止めているんだ、ということが胸に通りました。
いま私たちを取りまく都市での生活は、毎日がハレのようなもので、ハレが日常化してしまっていることで、逆に本来の姿がみえなくなっているようです。
私たちはいつの間にかハレなくして生活が出来ない、ハレに依存する中で、却って素晴らしいものを見失っているのかもしれません。
次回は、客を迎えるに重きをおいた家の構造、をお送りします。
引き続きご覧ください。
  (かりの)