「日本家屋の暮らしと知恵」 その7

講義は五十鈴塾右王舎で行われました。
前回の講義にあった「理にかなった寸法」で建てられたこの建物を、講義のテーマにそって見てみましょう。
~ 五十鈴塾右王舎に見る暮らし方 ~
皆さんにお座りいただいているこの建物が、サザエさん家よりもういち時代前の家で「町屋」と呼ばれる建物です。
日本はかつて街道を中心に町が作られてきました。
町を形成するには自然と人工密度が高くなるわけで、家も隙間なく建てられざるを得ません。しかし税金が家の間口に応じて掛けられていたため、それほど大きな間口に家を建てることは出来ませんでした。
昔は大店(おおだな)を表すのに、「間口八間に家蔵構える」といったのも、あながち間違いではなく、それは相当な税金を払っていたという証なのです。

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それは伊勢でも同じだったことでしょう。
ですから大抵は、間口に比べて奥行きの長い、細長い敷地になるわけです。周りを家に囲まれた上にそういった敷地条件ですから、結して住み良いはずはありません。その環境を逆手に活かして、上手く住むために工夫された家屋のスタイルが「町屋」なのであります。
ひと昔前の都市型住宅、と思って頂いて結構です。
街道に面する意匠は、それぞれ地域のスタイルが反映されましたが、平面的に近畿圏で多く取り入れられたのが「おもてや造り」と呼ばれるものでありました。
この家の形もそうです。
また道に面する家の高さも、厳しく決められていました。
おはらい町でも古い家は相当低いですね。きちんとした建物で一番古いのは赤福さんだと思いますが、以前黙って外からスケールを当てさせて貰いましたところ、軒の高さでちょうど15尺。この辺りが基準だったのではと思います。
この軒高ですと、実際は2階で生活するのには難儀します。そのため、奥に行くに従って背の高い空間を作り生活を賄うようになります。そこで道路側と奥の建物を切り放し、離した間に中庭をとって採光と通風の用に充てる。
そこから導き出された形が、この「おもてや造り」と呼ばれる家です。

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この家ではどのように暮らしてきたのか、ちょっと中を見てみましょう。
まず正面に開けられた大きな入口。これを大戸(おおど)口と呼びます。
大戸を開けると右側にひとつの部屋があります。
これを「みせのま」と呼んでおりまして、読んで字の如くお店をしていたところです。また特に店を開いていなくても、この造りに大きな変化はなかったようです。
「みせのま」には、結界となる衝立に机がひとつ。店によっては棚などが置かれ、一部商品が並べられた場所でもありました。
また、仮に歳をとって商売を畳んでも、部屋を改造することなどはなかったようです。帳場格子や机を蔵に仕舞うかわりに、座布団や火鉢を出して応接的な役割を与えて使っていたようです。室礼を代えることで機能を変えていったんですね。

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また、外には格子が立てられます。
このように外に向かって出ている格子を”出格子”と呼んで、多くはこういった形式をとっていました。特に祭礼や家での大きな行事などでは、こうした格子を外して内外一体となった空間を作って、ハレの日を迎えることもありました。
この格子は、道路からは殆ど中を覗かれることはありませんが、家の中からは結構道行く人が見て取れます。おかげで障子を開け放っておけば、プライバシーを気にすることなく、風が吹き抜けていきます。
町中の建て込んだ場所にあっても、こうした格子のような装置と、中庭のような外部空間を有効に繋げることによって、家中を風が吹き抜けてゆく。一見、隙間のない周囲を囲まれた町屋ですが、実際はかなり涼しく暮らせるのも、そうした理由によるものと考えられます。
また周囲が囲まれているため、視線を気にせず開放することができ、夏などひとたび水を打てば、草木の上をわたって行く風はその潜熱を奪われ一層涼しくなっていく。
これも立派な暮らしの知恵ですね。
店のお客さんはこの”みせのま”で対応しますが、家へのお客さんは、みせのまを通り越して玄関へと請じ入れられます。
玄関がこの家での最も位の高い入口となります。
玄関には式台が設けられています。もちろん式台のない場合もあり、各々の家次第になりますが、玄関は畳を敷いた部屋として設けられます。
お客さんが来ると、主人はこの玄関の間に座り、客と対応します。
座ることで立った客の目線より少し下になる格好となり、いわば謙った形になるわけです。そうしてお互い挨拶を交わすのであります。
また玄関での作法などは色々あるようですが、私みたいな田舎ものにはご勘弁願いたいと思いますが、ひとつだけ例を挙げてみましょう。
客は挨拶の後、主人から請われて上へ上がることが許されます。
玄関には”沓脱石”と呼ばれる石が据えられています。高く据えられるものもあれば、このように土間に埋め込まれる場合もあります。

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客はここで靴を脱いであがるのですが、やはり客の礼儀としては、沓脱の真ん中は避けて脱ぐ方がいいでしょうね。また京都では、仮に夫婦で招かれたときなど、女の人はこの沓脱に自分の履物を乗せてはいけない、と友人から聞きました。聞いた時は何と女性蔑視なところかと思っていましたが、そういう心配りをお互いに楽しんでいるんですね。
また客がどのような形で上がってこようと、帰る節は沓脱の真ん中に履物を揃えるのが主人の礼儀でもあります。

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もうひとつ、玄関での約束事。
常時ではありませんが、あらかじめ来訪する予定が分かっているときなど、このように障子を少し切っておく場合があります。
これは、「これよりどうぞお入りください」という意味が込められていて、客は大きな声を出すことなく、障子を開けて中に入ることが許されております。こういうルールがある、ということも面白いですね。
この建物に蔵があるのは皆さんもご存じと思いますが、実はこの蔵があるから暮らしがスムーズに行くんです。
私たちの周りは、文明の利器に溢れています。テレビ、ステレオ、パソコン、様々な食器類に冷蔵庫、結婚式に出るたび引出物が箪笥に積まれ、旅をすればお土産が増えていく。最近は夫婦も子供も個室ですから、何でも家に持ち込みます。
誰も咎めませんから物が溢れるんです。またこれが捨てられない。
個室で邪魔になると今度は居間に持ち込まれ、次第に家が物置状態に・・・・・。
笑い話みたいな状況が、いま結構広がっているんですよ。
個性の尊重は結構なのですが、それも程々にしないと、結局は我が儘な自我を目覚めさせることになり、リビングの反乱を招くことに繋がる。
生活のスタイルそのものに問題があるんでしょうね。

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こういう町屋で暮らしていた頃は、恐らくそうした自我をだすことはなかったでしょう。個人より互いの迷惑を戒め、規律を優先させていた。
サザエさん家のようなルールが、きっとあったことと思います。
それに加えどの家も、余分な道具を収納しておく場所がとられていました。
それがこの蔵であり、道具を入れることから、これを道具蔵と呼んでいました。
蔵のない家は道路側の2階、先ほど話した天井の低い部屋を”厨子2階”と呼んで、ここに納めていました。こうした部屋があって初めて室内は統一感が保たれ、季節や行事、用途によって室礼が変えられていったのです。
「理にかなった寸法」の建物では、理にかなった生活が展開していたんですね。
次回は、「ケの空間とハレの空間」についてをお伝えいたします。
  (かりの)