「日本家屋の暮らしと知恵」 その5

「日本家屋の暮らしと知恵」 前回に続き、道具と人との関係をレポします。
日本は確かに家具?ではなかったんですね。
いわれるとなるほどと・・・・・。
~ 道具と人との関係 (2) ~
先ほど子供室の話が出ましたが、学生時代に知り合った友人に素封家の息子がおりまして、あるとき子供部屋の話になったんです。
きっとそいつは大きな部屋に住んでいたんだろうと勘ぐって聞いたところ、子供部屋なんてなかった、というんですね。子供部屋の変わりに持たされていたのが、一人で持ち運べる机と本棚。それを毎日自分の好きなところに持っていって宿題をしていたそうです。
今日はおじいさんの部屋、今日は縁側で庭を見ながら、今日は居間で家族みんながいるところでと・・・・。これを聞いたとき、「日本の家に住んでいたんだなあ」と感じたのを覚えています。

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これなどまさに日本の家の暮らしを物語っているんだろうと思いますが、ここに出てくる机も本棚も、これは道具であって家具とは呼ばないんですね。
一人で持ち運びが出来るのがその単位であって、その意味では日本の暮らしは道具によって成り立っていたんです。暮らしの中でのさまざまなときに応じて、それにふさわしい道具を出して生活をしてきました。
先ほども触れましたが、強い性格を帯びない日本家屋の空間に、道具を出すことによって時々の役割を与え、目的を果たしていったんです。
暮らしの中での時間割り、起床から始まって就寝までの営み。
正月や盆などの年中行事、冠婚葬祭などの人生での節目の行事など、全く異なる内容が日本家屋というひとつの舞台で可能だったというところに特徴があって、そこに道具の持つ役割があったんですね。
そのように、日本の住まいは自ら変わることによって多様な機能を内に秘めているといっても良いでしょう。
その意味では、蒲団も座卓も道具であって、それら道具によって空間がその都度、意味と役割を担っていく。日常生活では寝室と客間と食事室とさまざまに使われていても、ひとたび緋毛氈が敷かれ、杯や三方が仕来りに則って飾り付けられれば、たちまちのうちに儀式の空間へと変貌する。
部屋の仏壇を開け、お灯明を灯せば仏間へと早変わりすることが出来る。

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日本家屋にはそうした融通性と自在性が混在していて、それは私たちの暮らしの背景を家が努めてくれていたことの裏返しでもあったのです。
百の機能を遂行するために百の部屋を用意しなければならないのが欧米だとすれば、百の行為を一つの部屋で百の道具を持ってまかなおうというのが、日本の住まい方でもあったのです。

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しかし道具だけではことは生じません。
そこには人の立ち居振る舞いという動作が必要で、日本ではそういうこともうるさくいわれてきました。サザエさん家を見ても分かるように、日常のいわゆるケの中に厳しさがあって、自然と躾として身に付いてきたのでしょう。そうしたメンタリティーな部分が根底にあることによって道具は一層引き立ち、背景となる建築とひとつになって空間を生動させ、家での暮らしが行われていたんだと思います。
だからこそ、道具には扱いという作法が厳密にいわれる所以があるのだと思うのです。
次回は、引越に持っていく障子と畳についてレポします。
引き続きご覧ください。
  (かりの)