山口邸を終わって

1年にわたってご覧頂いた山口邸、如何でしたでしょうか。
家を作るには、ひとつのドラマのようなストーリーがあります。
私たちにとっても、家ごとに刻まれる思い出は、かけがえのないものです。
またブログという発信の試みは、私にとっても発見でした。
普段、当然のように過ぎてゆく仕事も、言葉にしてみると日頃から思っている感情や疑問などが客観的に見れ、楽しい反面、浅薄さに冷や汗もかきました。

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                  (大黒さま)
下案の折りに紹介した鬼瓦も、堂々と棟を飾りました。
南に向いて笑う大黒さま。北には睨みを利かす鍾馗さま。
この家を末永く見守ってくれることでしょう。
山口さんも今は家族4人、水入らずの生活を楽しんでいるようです。
それでも住み始めると色々起こることもあって、扇光 中西専務には様子見のお付き合いをお願いしています。
こうして住み手と家の関係が深く結ばれていくのでしょう。
例えは良くありませんが、人と家の関係を物語るひとつに、
”住まなくなった家ほど早く朽ちる”、というのがあります。
建築関係の人なら、恐らく誰もが目にしていることでしょう。
家は、人が住んでいる間はその風貌を保っていますが、ひとたび人がいなくなると、途端に朽ち果ててしまいます。
不思議なものですが、人がいて初めて家は息をする。
まるで支え合って生きているかのようです。
きっと人と家の間には、目に見えない何かがあるのでしょう。
そう思うと、建築は生きものにも見えてきます。

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                   (鍾馗さま)
ご覧頂いたように、家を建てるには、さまざまな過程を辿らねばなりません。
夫婦や家族での話し合い、互いの希望と将来の夢、生活感のぶつかり合い、大きなお金を動かす思いきりと計画性、周りの人の協力、日常生活とは全く違う場面の連続であります。
それには普段の生活では見られない、お互いの生きる姿勢や考え方を、家族が面と向かって話すことから始めねばなりません。その積み重ねが、おぼろげながらも家の姿を立ちのぼらせ、形を結ばせる原動力になるのでしょう。
住む家に魂を吹き込む、大切な瞬間です。
笑顔だけで家はできませんが、次第にカタチになる楽しさは、作った人にしか分からない素晴らしい感動があります。真剣な対話がもたらす、家族だけの真実なのです。
山口さん家族も、新しい家との日々が始まりました。
自分たちで作った家は、これからさまざまな光景を記憶することでしょう。家族の声や手の跡、喜びや悲しみ、たくさんの想い出に溢れるに違いありません。
そこに刻まれた記憶は、まさに家族の宝物であり、かけがえのない”家”、そのものの歴史なのです。
そんな暖かい家を、木の建築を通して、これからも作っていきたいと思います。
  (前田)