新五十鈴茶屋(13)<和家具の仕事ー2>

村山組のキーパーソンに、村山さんが右腕と頼む反中政雄さんがいる。
以前村山さんに依頼したY邸調度の制作から携わってくれ、拙HPに掲載した雪洞行灯の納品に、仙台でお会いしたのが最初だった。
初対面の挨拶そこそこに、
「先生すみません。保ちが悪かろうと勝手に桟を1分(3mm)太くしてしまいました。
けれど作ってみて先生の図面通りで良かったのかと・・・・申し訳ありません」
それが反中さんの第一声であった。

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行灯の骨桟を図面より1分太くしたという。
形の複雑さから、組み手の耐力を心配しての判断だったのだろう。
改めて見直してもプロポーションには問題なく、私は納得していた。
都合の悪さは誰でも隠したがるもので、指摘される前に詫びることなど、そうできるものではない。そこに反中さんの職人としての高い誇りを感じた。
打ち解けた後に聞いた苦心談に、好きでたまらぬ仕事への心情が溢れていた。
繊細な仕事を極める、大きな身体逞しい家具職人、飛騨の匠である。

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                 (反中(たんなか)政雄さん)
五十鈴茶屋では施主の発案もあって、台座と持ち手を陶器で作りたいと思った。
しかし焼きものは歪む。同じ形にはなりにくい。
村山さんに投げかけてもそれは無理だろうと、人造大理石を提案された。
歪みをどう吸収して行灯に仕立てるかを悩んだが、首を縦に振らない。
しかし意匠としてどうしても譲りたくなかった。
状況は考える時間を許さぬ限度に来ていた。
今日が最後だと3月末の切迫している現場を抜け出し、前日から現場に来ていた村山さんに同道し、反中さんの工房へと飛騨路を向かった。山間は数日の大雪で通行止め、途中から列車に乗り換えての強行軍となった。工房に着くなり早々、
「何とか陶器で出来ないだろうか」
村山さんには陶器を、反中さんには組立の知恵を請うため、ふたりを前に訴えた。

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この灯具でも、木・竹・陶器・紙・鉄と異なる仕事をひとつにして成り立っている。
竹編みのふくらみ具合や木部の面の取り方、陶器の形と竹の接続方法、留め金や絵柄など、全体のバランスを見通しながら各部のディテールを詰めてゆく。
まるで、小さな建築を作るような、手間が掛かる。
「本当に焼きものでやるんですか」
その場で陶器の形状と寸法を図に書き、2人に委ねた。
責任を知るからこそ、容易に引き受けられないのだろう。
暫し沈思の後、やってみるかと、早速その場で村山さんが窯元に連絡を取ってくれた 。翌日、村山、反中両人で陶房を訪れ直談判、ようやく見通しが立った。

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もうひとり、細かな仕事に取り組む飛騨の老、金子金造さんがいる。
反中さんは金子さんを「師匠」と呼んで、尊敬してやまない。
何かにつけ金子さんを話題にあげ、「この人のおかげで私がいる」
といって憚らない。羨ましい関係である。
古老の風貌ながら瑞々しい探求心をもち、仕事が悦に入ると仕事場近くに布団を持ち込み、真夜中でも思いつけば布団をはねのけ仕事に取り掛かると聞く。
朝も待てぬと早朝4時から、反中さんと仕事の話をする人だ。
まさに常住坐臥の仕事師である。

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                  (金子金造さん)
「難しい仕事ほど面白い」
そういって微笑む顔に、闘志溢れる若々しさが満面に広がる。
仕事の工夫は道具にも及び、工作機械まで自ら作り出す一筋の人である。
完成間際に現場にも来られ、自身の仕事にも納得されたと聞いた。
優れた職人が村山さんを囲み、顔を揃える。
みな難解な図面を形にするため、必死に意を汲もうと取り組んで頂いている。
スケッチに描いた仄かな起りや、図面に書く僅かな納まりなども見逃さず、そこに込めた意図を形にすることに神経を傾注する。それは逆に私の力量を確かめられてもいるのだが、そういった無言のやり取りが、造形に力を漲らせる。
村山組の傘下には、まだ幾つか異なる職種の職人がひしめく。
まさに暮らしを彩る十職がいる。
私の仕事だけでなく、その仕事は多くの人に潤いを与えてやまないことだろう。
  (前田)