新五十鈴茶屋(12)<和家具の仕事ー1>

今年3月から5月に掛けて、週に2日は現場で村山さんと顔を突き合わせていた。
殺気立ってた、といった方が良いかも知れない。
完成まで時間がない。作った試作を前に、
「ここの太さが違う」
「膨らみの曲線が直ってない」
「図面と納め方が違う・・・・」
事務所の机一杯に、書類や図面をぶちまけ、目をつり上げていたように思う。

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私の書く和家具を作ってもらうようになって、6~7年がたつ。
村山千利さんだ。
「用美」のブランドを持つ岐阜の家具・食器メーカー、ヤマコーの社長である。
昨年社長を継いだ村山さんだが、とても社長と思えぬ腰の低さと人柄は、多くの人を惹きつけてやまない。普くは知らないが、これだけ付き合えば自ずと分かる。
家具職人の父に薫陶を受け、入社以来、先代の祖父江会長の手足となって全国にシェアを持つ企業に育て上げた。
しかし、村山さんとはメーカーとして付き合っているのではない。
作ってもらう職人としてである。
村山さんは直に作るわけではないが、図面をもとに各職方に仕事を振り分け、各々仕上がった仕事をひとつにまとめて望む形に結実してゆく、完成形を思い描けているからできる役割がある。
まさに村山組の仕事と呼ぶべきもので、傘下には素晴らしい職人が揃う。
家具などは、関連する手仕事すべてを熟知しないと、このまとめ役は勤まらない。
そこに村山さんの中の”職人”を見る。

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                    (村山千利さん)
その間、村山さんとのエピソードには数に限りがないが、あるとき口論になった。
普段そんな姿を見せることない村山さんだが、互いの議論が白熱したのだろう。
私の思う形と、村山さんの理解とに疎通を欠いたのが発端だったと思う。
そんなわけはない、作る姿勢が問題ではないのかと詰め寄った。
そのときだ、
「先生は自分で作ったことがないからそんなことを言うんです」
目を見据え、唇を震わせて言い返された。
それは、私にとって大切な諫言となっている。
つい思いが先に出て、作り手の意識を飛び越えることがあるのだろう。
爾来、自分が思うようにならないときには、いつもその言葉を思い出す。

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現場事務所の大きな机を前に、図面と試作を交互に睨む私の横から小さくいう。
「作り直してきます、遠慮なくいって下さい」
ものづくりの責任を知る、重みのある言葉だろう。
こちらも何度も作り直させてなるものかと、ひとつの寸法に呻吟する。
目もつり上がろうというものである。
村山組の仕事に支えられて作られた和家具たちが、ここにある。
  (前田)