茶室だけで茶の湯はできない。
点前だけで茶事が成り立たないのと同じである。そのように露地は茶の湯へのタイムトンネルみたいなもので、露地がない茶室は”本格的な茶事には使えない”、といっていい。
階段を上がると鞘の間が中央を走り、上階の空間を2分する。
向かって右側が広間、左手が小間となる。
この鞘の間を設けることで、二つの茶室がそれぞれ独立した使い方ができる。
しかも互いに境の建具を取り払えば、一室ともなる。まさに日本建築の特色でもある。
まずは広間から見てみよう。
広間は8畳。正面に床を設ける。
中央に床を設け、右側客付きに琵琶台を備える。
床柱は杉磨絞丸太、床框には杉磨丸太入節を入れ天端に真塗りを施す。琵琶台横には書院を設け、床柱から一本に落とし掛けを通した簡素な意匠とした。
天井は杉中杢板を羽重ねに張り、鞘の間との境には板欄間をはめる。
琵琶台下のケンドンと欄間には桐を使った。
茶の湯の座敷は、茶道具と一緒でそれだけが引き立ってはいけない。
全体の取り合わせの中でそれぞれが調和して、空間が整えられねばならない。
目に立たぬよう、しかも調和を乱さぬよう細部まで念入りな仕事が求められる。
寸法には、特にうるさく申し上げた。
些細なチリ寸法や、メンの落とし方、床柱と框の取り合いなどは直しても貰った。
そうした細かな積み重ねが、全体の雰囲気を形作る。
最初に雰囲気ありきでは、建築は出来ないのだ。
桐板は左座さんが用意した。
現場では良材が揃わなかった。中国産なら、とも思ったが左座さんが納得しない。そこで自ら、京都に掛け合いに行った。
彼が京都で修行中のこと。指物師の親方に随分薫陶を受けたらしい。
道具屋にとって箱は大切なもの。
が、その箱を巡っては、いわれぬ職人の思いもあったに違いない。
親方の職人魂に、駆け出し道具屋として諫められることもあったのだろう。
きっと応えてくれると勇んで伺った先、親方はすでに他界されたとの報。
奥様から、「左座さんが普請されたと知ったら、きっと喜ぶことでしょう」
そう仰っていただいたと聞く。
建具全般の製作は、「手嶋建具店」の手嶋さんが一手に引き受けてくれた。
杉も秋田の赤味を揃えてくれ、丁寧な仕事で応えてくれた。
「こんな仕事をさせて貰えて幸せです」
実直な人柄らしく、細かく熱心に尋ねながら、神経を漲らせた仕事をしてくれた。
桐板は先方のご厚意で、親方が残してくれた最も上等な桐を、形見分けにお譲りいただくこととなった。早速、手嶋さんが建具に作って納めてくれた。
左座さんにとって、代え難い思いを刻み残せたに違いない。
(前田)