S邸の続き。
改修工事は店の運営に従って期間が決められることが多い。正月明けから新茶が出回る時期までを工事期間とし、新茶売り出しと共に新装開店としたい。
S君の中ではそう決めていたようだ。
それを受けて、年明け早々に材料選定、2月に入るなり現場に乗り込む段取りが組まれた。今回、悠山想の棟梁として現場を束ねるのが樋口さん。
(写真下、樋口さんと啓君)
その優しい目が語るように、厳めしい顔立ちとは裏腹に温厚な人柄で、笑うと顔がくしゃくしゃになる。しかしその経歴は逞しい。
宮本さんとの付き合いは古く、かれこれ30年来という。
しかしそのいっ時、樋口さんの意志で修行に出たことがあった。
「どうしても数寄屋をやってみたい」、募る思いに駆られ京都の名門、「中村外二工務店」へ。故外二棟梁の自宅の前で待ちかまえて入門を嘆願したという。
樋口さんの情熱も大したものだが、それを許した宮本さんも半端ではない。
都合7年の間、京都の中枢の仕事を見、再び悠山想に戻った。
二人の信頼関係なのだろう。いまでは悠山想の棟梁として腕を振るっている。
宮本さんがこの度の仕事を請けた背景には、信じる樋口さんが居られたことも大きいと思う。最初の打ち合わせから参加してくれているが、丸太を選ぶ頃から目つきが変わり、久しぶりの数寄屋仕事と打ち込むあまり、頬がこけ身体が締まったと宮本さんはいう。
現場監督を務めるのが、宮本さんの子息、啓君。
大学を出て目下、父の元で勉強中の青年だ。うちの”かりの”は啓君のことが大好きらしく「一生懸命って感じがする」、と絶賛である。物をまっすぐに見つめる視線に一途な若さが滲み出る。頼もしい好青年である。
いよいよ現場に乗り込む日、宮本さんの声掛けで「小屋入り」が夕刻から行われた。
建前に組上がった家の中で、工事に携わる一同が介して、互いの疎通と安全を祈る、この地方独特の呼び名だという。
規模こそ小さいながらも、みんなにとって初めての数寄屋仕事。
施主であるS君を始め、建築に関わる業者に加え厨房機器やダムウエーター、空調業者までが参加する、総勢15名の盛大な宴となった。
宴たけなわな頃、知らずうちにみんなが車座に集まり、茶碗酒を酌み交わしていた。
みんながひとつになれた、気持ちいい船出である。
(前田)