白木と色つけ

色つけの話にそれてしまった。
もう少しこのことについて触れたいと思う。
実は私も色を付ける当初はものすごく戸惑いを感じた。こんなきれいな材料を何で塗る必要があるのか、と随分疑問に思った。
そう思う背景には、やはり自分の中に美材こそを良しとする思いがあったのだろうと思う。
京都で数寄屋に没頭していた頃は美材が当たり前で、その中でいつしか”木”本来の姿を見れなくなっていたのかも知れない。
友人がハウスメーカーで家を建てることになった。
基本プランを依頼され、何回か打ち合わせに同席した。エントランスの天井を板にしたいとの希望がすんなり通ったとき、ハウスメーカーも木を使うのかと思ったが、出来た天井はプリント合板だったのには驚いた。
しかし、それを見ても友人は何も言わない。
いま、一般に”木”といった場合、このような使い方や感覚しか現代人は持ち合わせていないのではないだろうか、とそのとき思った。
力強さとか、年輪を経た暖かみといった本物の”木”に対する感覚を、どこかに置いてきてしまったのかと思われてならない。
節があっても木目が通った良い材料は結構あるし、安価に手に入るルートもある。
これを活かして用いることが出来れば、本物の木の家に住める。
昨年、東北でこのようなコンセプトで住まいを建てた。

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地産の材料だけを用い、杉を主材として赤松やケヤキなど地元で伐採した木材だけで木の家を作った。
当然節も多いが、節ばかりが際立つとやはり空間としては馴染みづらい。私は当初から色つけを主張したが、施主は未経験なこともあって踏ん切りがつかない。
そこで柿渋を提案した。
柿渋は塗った当初は透明だが、空気に触れ酸化することで独特の赤味が浮き上がってくる。当然自然素材だから健康への心配もない。塗って3日ほどが過ぎる頃、発色してくる。
私も柿渋だけを使った色つけは初めての試みだったが、杉の赤白の源平が、ものの見事に赤味材に変わった。これを見た施主の決断で、柿渋を使って全体を整えた。

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白木は材の美しさをひと際訴えるが、女性のような艶めかしさも伴う。
それはそれで美しいものだが、美材に比べ見劣りする材も、色つけをすることによって活かされる木も多いのではないだろうか。
かつて日本で当たり前に行われた色つけを、現代で試みるに躊躇することはない。
「ものを活かして用いる」、その中にも日本の文化は隠されていることと思う。
  (前田)