伊勢でお世話になっている高橋徹先生、私の大好きな建築家です。
今までお付き合いさせていただいて10年超。
私の嫌なところも十分承知していて、いつも陰からアドバイスを頂き杖を貸してくれる、心から信頼できる先生です。
新五十鈴茶屋はまさに高橋先生の後ろ盾を頂いて初めて出来るものでもあります。
そんなこともあってこの間、現場帰りに痛飲した折のこと・・・。
先生曰く、
「・・・・木を、鉄やコンクリートと同じように単なる部材として使っていても、
それは決して木造建築ではないんだ。木というものが持っている特性を
活かして、それをそれぞれの場所に活かして使っていく知恵があって、
初めて木造建築と呼べるんだ・・・・」 と。
かなり盛り上がりました。
誠にその通り!
”木”を工業製品と同じように単なる材に置き換えて用いた建築が、昨今の現代建築でも脚光を浴びているようですが、それは木造建築とは呼べないよな・・・と思うんです。
”木”には天から与えられている、持って生まれた特質があります。
水分を含めば膨らみ、乾燥しては縮むのを繰り返す。枝を落とせば節は残るが、節の多い木ほど中に持っている力が強いんです。木が表す独特の木目も、それぞれの木によって異なり様々な姿を楽しませてくれる、まさに人の手相と一緒です。
そう、”木”は生きものなんです。
・・・・木がどのように曲がるかを見極め、その癖を読んで組合わせ、
荷が掛かる大事な場所には節がある強い木を、人の目に
触れる大事な場所には美しい木目で惹きつける・・・・・・。
曲がったものは曲がっているなりに、直材は直材としてふさわしい場所に
それらを適材適所に用いながらお互いを組み上げ、ひとつの建築として
形作っていくことが「木造建築」の醍醐味でもあります。
癖もあれば暴れもする、そんな”木”が持っているものを全て受け入れ、それらを活かすことで建築としてまとめ上げる大工の知恵は、まさに日本が誇る文化に他なりません。
決して”木”は鉄骨やコンクリートではないのです・・・・
それは近頃盛んな計算強度を重視した構造解析と、自ずから異なる視点だと思います。
さらに高橋先生のひと言。
「・・・木造建築は経験値の積み重ねだ・・・」
この”経験”こそを自分のものにしたいと心から願っています。
(前田)