今日は、「荒壁」のことを少しお話しましょう。
かつての住宅建築の現場には、建て方が終わると敷地の一角に土を捏ねる池が設けられました。
ここで左官屋さんは荒壁となる土に刻んだ藁を混ぜ、水を足しては踏み、捏ねるのを繰り返していました。そうすることで土が持っている粘性を引き出し、土の”あく”が抜けて、後で割れが少なくなるからです。
(昔の良い仕事では、1年も寝かせて土を晒してから用いたこともあるそうです)
その間に建物は屋根仕舞いを終え、柱を貫で結束した上で、えつり竹(間渡竹、壁の芯になる竹のことですね)を渡し、割竹の小舞を掻いて壁の下地が出来上がります。
それに荒壁をつけていきます。
まずは小舞の片面から塗りつけ、裏に塗り出た部分をコテでならします。(写真)
片面が乾いたら裏からまた塗返す。これを「裏返し」といいます。
建物の工程と共に荒壁を充分乾燥させて、むら直し、チリ廻りを押え、貫を伏せてから中塗りを経て、最後に仕上げの上塗りへ・・・・・と工程は続きます。
塗っては乾燥・・・・の繰り返し。
充分に水分を抜くことで、壁としての強度がでるのです。
こうすることで単なる”土”が「壁」になっていくんです。
全く大変な工程ですよね。
そして 《見るからにふっくらとした壁に仕上げること》 が左官の真骨頂。
左官はまさに芸術!といってもいいでしょう。
・・・・しかし今、このような荒壁をつける仕事は少なくなりました。
工場でできた壁を現場に持ち込み、一日で建て方を終わります・・・・
日本が大事にしてきた「味」や「深み」は、作った当初から出るものではありません。
年月を経ることによって、その内面からにじみ出るものです。
それは、そこに込められた”気持ち”が出るんだと思うんです。
手間と時間を掛ける仕事は、まさに我が子を育てるのと同じだと思いませんか?
「簡単・安い・スピーディ」
今の世の中はこの3者が「convenience(便利)」と同居している時代です。
しかし、そういう中で育てられた物は、「簡単で安い」という「程度」の枠から抜け出ることはありません。
「家」という生活の土台から、私たちは色んなことを考え直さなくてはならないのかも知れません?
(かりの)