南面したリビングは、両親の家との共有スペースである庭に大きく開放される。ダイニングキッチンと接続し、空間を水平に展開させながら2階まで吹き抜ける大きさを持たせた。互いの交流スペースである庭は、両親の家へのアプローチを兼ね、視線を交わらせながら互いの気配を感じさせてくれる。
<リビングからダイニングを通し、共有スペースの庭を見る>
その庭に向かったソファーに座すと、空までを見渡すことができる。階段上部に開けたトップライトは、階段の明り取りと通風を確保し、南面したガラス戸を開ければ、トップライトの開口を通じて自然の風が家中を吹き抜けていく。
家をつくるとき、ソファーを置くのが常識になってきたが、それにこだわる必要はない。それでも、多くの家でソファーがテレビに向かって置かれるのを見ると寂しく思う。家族で話したり、ひとり読書をしたり、何げなく佇んだりと、リビングでの過ごし方はさまざまあっていい。個人的には設計をするとき、けしてテレビに向かってソファーを配置しないことにしている。テレビに向かわせることで、居場所を大きく限定させ、リビングに来ればテレビをつけるのが当たり前な行動になるのを嫌うからだ。限られた空間でも、外部とつながることで日常の時間の中に、ふと自然の光や風を感じることができる。その方がより豊かな暮らしへと導いてくれると信じるからである。
<リビング吹抜、セカンドリビングを望む>
個室は2階に集約させているが、個室には敢えてゆとりを持たせていない。家族がいつもどこかにいるのを感じたいという、当初からの夫妻の要望だった。そのこともあり、さまざまな居場所づくりがひとつのテーマだった。2階の階段ホールをセカンドリビングとして確保したのも、その一環である。娘さんのピアノやご主人のランニングマシン、読書などに使えるカウンターなど、パブリックゾーンの充実を図った。リビングダイニングの吹き抜けは、上下階の差なく家族の気配を伝え、ガラス面を通して両親の家とも通じ、その時々の自由な居場所が家族を結ぶ。
<セカンドリビングを見る>
設計においては、時間をかけて施主とのコミュニケーションに努めている。昨今は手短に家を求めがちだが、家を求めることは家族の日常を作り出すことであり、それが今後の家族の心身に大きな影響を及ぼす。この家も設計に一年を費やしまとめてきた。その主張に夫妻も納得され、積極的に思うことを語り合ってきたからこそ、この家が生まれた。
<セカンドリビングから1階を見下ろし、共有スペースの庭を望む>
家に決まった法則などはない。自分たちがどう生きたいのか、何を家に求めるのかを鮮明にさせることが家づくりだと思う。住みだされた後、我らを食事に誘ってくださり、この家を大いに喜んでくれた。「長い時間をかけて作って良かった」と聞き、心から嬉しく思った。
(完)
前田