餘慶庵の座敷は、主座敷7畳と次の間8畳からなる。
それに水屋が付随し、新たに設けた控室と納戸に加え、裏の墓地に面した観音堂からなる。それをひと棟として、渡り廊下で本堂とつないでいる。
<主座敷 表千家七畳の写し>
主座敷は7畳で、表千家7畳の写しとして作られている。
表千家の7畳は、8代啐啄斎が天明の大火後に稽古場として作ったとされる。先代如心斎は7事式を考案したが、その七事式に適さないようにと、この座敷が考案された。
不整形な間取りだが、室内は六畳敷で、東側の中央に床を構え、床脇に台目畳を敷く。
正確には六畳台目の広さで、一番奥の一畳が点前座となる。床の深さは畳の幅より浅いので、床から点前畳の前まで、床前に板を敷いている。
茶道口は襖二本だての口で、他の出入口より低くして鴨居を散りつけている。
<次の間 表千家松風楼の写し>
次の間は表千家松風楼の写しとなり、床脇に建立者の仏像が祀られる。
南側が入側となるため、本歌とは逆に琵琶台が取りつく。内部は八畳敷で、東側から南側へ入側がめぐらされる。正面中央に間口一間の床、その左に琵琶台を設ける。
如心斎が七事式のできる広間として好んだ座敷を手本として作られた。
<8畳より本堂主庭を望む>
7畳は、かつて床脇に空調機が入って意匠を損ねていたため、天井裏に空調機を入れることで本歌に倣って整え、8畳は大寄せの会での使い方に幅を持たせるため、書院の間口を詰めた。そのほか痛んだ材や建具を取り換えて納めたが、かつての趣を壊さないように努めた。
解体して分かったが、当初は現在の畳敷きの入側が濡縁で、入側の硝子戸は後補のものだった。竣工写真は、それに倣って硝子戸を外して撮影したが、こうして外してみると、本堂を囲む庭に餘慶庵の座敷が浮いて見えて、まさに庭屋一如の趣を実感する。
<水屋を見る>
西側に控えの間と納戸を新たに加え、水屋も物入れなどを工夫し広げて整えた。
大寄せで使われることが多いため、以前からその狭さと天井の圧迫が気になっていたが、それを解消しながら餘慶庵に相応しい水屋となるよう心がけた。
本堂との渡り廊下も広げることで、より使い勝手が良くなったようで、竣工初めての口開けにお家元にお使いいただいたが、大変喜ばれたと伺って胸をなでおろした。
<本堂との渡り廊下 内部>
(前田)