内宮も無事に遷御の儀を終え、この地の新たな20年が始まった。
参拝に訪れる人の勢いはとまらず、市内での宿泊などは、とても叶わない。
新旧ご正殿の双ぶ姿を拝し、永々とした営みの深さに自ずと襟を正された。
前回の続きを。
<上階を繋ぐ大階段を見る>
2階のみせを繋ぐよう、上座敷に「あがる」階段を大前に堂々と架けた。
外には、この家の大玄関よろしく式台を構え、そのまま直に大階段が上階に通じる。上階正面には窓を開け、水平に開いた高窓には空が広がる。この空を眺めて階段を昇るのだが、彼方への抜けは思ったより大らかで気持ちがいい。
写真では小さな開口だが、天上に続けとばかりの開放感がある。
この階段を中心に上階は吹抜けており、3方に廊下が巡る。周囲に連なる座敷は、この吹抜にまたひとつの景色を添えている。
<大階段正面、上階を見る>
「おくへ」というのと同じように、「あがる」というのも日本の空間にとってのステータスで、そこに到達するまでの間、どれだけの空間を通って導かれたかが座敷の尊厳を高める。何も威厳を持たせるためではないが、空間の位置づけを逆手にとった舞台装置としても、この階段は有効だろう。。
外観は全体に高さを抑え、低くおとなしい佇まいとしながらも、中に入るや一転して雄大な空間が広がるというのも、空間構成の醍醐味である。
幅5間、奥行4間を、中に柱を立てずに梁組みだけで持たせている。
外観とバランスさせるため、架かる梁には曲がり木を求め、面積と高さを確保するため、それらを縦横に掛け渡して組上げている。
作図の段階でもこの梁組には難儀し、幾度か書き直したが、ひとつ高さを障ると建物全体に波及するため、全体の寸法も同じように改めねばならない。こうした建築を作る上での難しさでもある。
異なる高さの桁高を、互いに材を組み上げながら屋根を構成し、姿の美しさと空間の雄大さを求め、微細な寸法を積み上げて緊張感を高めていく。
そのためにも芯となる架構の造形は大切で、大材を用いるとはいえ、繊細な寸法の構築なしには思った空間は作れない。
<階段吹抜、小屋組を見る>
竣工にあたって、地元氏神さまに御祓いをしていただいたが、祭主さまの一存でこの階段上に祭壇を誂え、下階に参列する我らの前を、階を上がり降りして礼拝をされた。
昇る階が、まこと天上に通じるように見えた瞬間だった。
(前田)