料亭の建築ー懇親

いま弘前から帰る列車の中にいる。
今朝、青森からの移動は小雨だったが、昼前から雪に変わった。
垂れ込めた曇空を、風が音を立てて吹き抜けていく。
今日は前回紹介した住宅の地鎮祭で、ご家族を囲んだ厳かな式だった。

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                  <茶室4畳半の天井>
青森の料亭も終盤を迎え、現場も殺気立ってきた。大工8人、弟子の手伝い2人の、合わせて10人で造作の追い込みに掛かっている。
料亭といっても、こちらは茶の湯を主体とした珍しい形で、ご主人と女将が育てた店の形態である。
間口が狭く奥行きが長い、典型的な町家の敷地で、大小の茶室からなる。
青森駅に近い立地ながら、新幹線の新駅が離れて作られたため、これから周辺もどのように変わっていくか、予断を許さない。
今年中の竣工を目指す。
数寄屋を教えて頂いた京都の先生は、現場ではいつも職人を大事にしていた。
自分の思いを伝えながら、職人の理解力を引き出し、意欲を高めて仕事をしてもらうよう、常に心配りを欠かさなかった。
仕事の経緯は現場ごとに異なるものだが、大工仕事が本格化するころには、現場は完全に先生の翼下に入ってしまう。
息の合わせ方を熟知しておられるのだろう。
大工や監督はむろんのこと、他の職種の職人も、現場での先生の一挙手一投足を追いかけ、目を輝かせて話を聞いている。
例えていえば、やった仕事が先生の意に添わなかったと知るや、明くる日、先生が現場に来る前に直してしまう。朝、職人に会って、照れくさそうにしているときは、決まってそういう時だ。
気持ちを察し、職人を尊重しているのが伝わるから、黙っていてもそれが仕事に返ってくるのだろう。
いつもそうした過程を端で見ていて、その見事さに驚かされ、羨ましく感じていた。
先生からひとり立ちして12年が過ぎたが、なかなかそのような真似はできない。
比べることがそもそもおこがましいが、至らぬ人間には遠い道のりである。
そんなことを思いながら、昨夜は大工らと大いに呑んだ。
話はやはり仕事のことで、ここはどうなる、納めはこうかと、仕事が酒を呑ませてくれる。最後はきまって良い仕事をするぞと杯を上げ、話はとりとめなく続く。
先生に教わった盃のやり取りを、慣れない手つきで酌み交わし、肩を叩き叩かれて、気づけばやっぱり酩酊していた。

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         <茶室3畳、床の蹴込のゴマ竹を見る中里棟梁>
やっと宿酔も醒めたが、何となく面映ゆい。
まだ照れがある証拠で、まだまだだと自分に言い聞かせている。
昨夜もいい話を聞いたようなと振り返るものの、どうも思い出せない。
先ほど盛岡を過ぎたが、漸く晴れ間が広がってきた。
(前田)