以前紹介した伊勢市観光協会の家屋が、先日上棟を迎えた。
計画から足掛け2年半、漸くの思いを胸に祝詞を聞いた。
外宮にほど近い場所に建ち、伊勢の観光開発の拠点となる。
今夏の完成を目指す。
<道路より建物全体を見る>
道に面して大きな切妻屋根を見せ、片側に大庇が取り付くのが、伊勢の伝統的な建築形態で、ここでは敢えてそれを踏襲している。
外宮周辺は山田と呼ばれ、かつては伊勢の中心として賑わっていた。駅から徒歩数分で参拝できる利便性に恵まれた場所もあって、活気ある街並みが連なり、多くの人が行き交っていた。
それが車社会に移るに従い、古い街特有の駐車場不足で人が離れ、省みれば、道路整備で軒並み古い家屋を壊してきたことで、歴史を伝えるものがほとんどなくなってしまった。
<大正期の山田駅前>
残された写真を見ると、ここ山田の建築は、内宮界隈の宇治地区に比べ、新進気鋭の趣があった。3階建ての旅館や唐破風をもった楼閣、町家なども宇治の柔らかさとは異なり、型破りな豪壮さがあった。間口をもった大店が多かったせいもあるが、どっしりした風貌が漂っていた。
八日市場町の「小西萬金丹本舗」は、江戸の薬補そのままの姿を伝え、往事の面影が伺える。本瓦葺きの庇、強い起りのついた屋根、大きな出格子など、威風堂々たる佇まいを今に伝えている。
もちろんこのたびの造形にも、大いに参考にさせてもらった。
しかしその規矩は些か崩れ、バランスを失しているかに見た。これだけに限らないが、古ければ良いとは限らない。特に細部を追求するあまり、全体の整合性や趣旨を逸脱しているものも多い。
ここでは自分なりの解釈で寸法を再構築し、伊勢の町家として現代に活かすつもりである。
地元の雄、堀崎組が工事を担い、世古吉郎棟梁が現場の采配を揮う。
中学を出て、すぐ大工の道に入った世古さんから聞く話は、とても興味深い。父から受け継いだ大工としての誇りを、一身に背負っているかに見受けられる。
<仕口は楔で固められ太い地棟が載る>
大きな地棟も載り、意図した姿に納まったようだ。
若い現場監督の片山君も気を吐き、常に掃き清められた現場には緊張が漂う。
揃いの半纏で上棟に望んだ堀崎社長の声高らかに、棟木が打ち固められた。
また追って、内容を紹介したい。
(前田)