引き渡してから2ヶ月近くになる。
先ほどもSさんから電話を頂き、改めてお宅に招かれた。
今日は桜花の後の剪定で、庭師の加藤孝志もS邸にいる。
監督の大山 聡にも、お父さんから度々電話があるようだ。
<2階寝室>
南東の突端に寝室がある。
内部は10畳の広さに、屋根なりに勾配を以て登らせ、いち面に杉板を張った。東面上部にハイサイドライトを、南面したバルコニーには大きな掃き出し窓を開けた。ハイサイドライトは部屋の幅いっぱいに開け、柔らかな光をと、乳白ガラスを入れた。照明は枕棚の間接照明とスタンドとの、仄かな光源としている。
古代朱の板格子は周りの視線を遮り、大きく張り出した縁は空間を外へと誘う。板格子を左手に、振り向く正面に桜の大樹を望むという寸法だ。
床板にはタモを、ベッド周りの家具は全て造り付けている。
天井板は白太だけを寄せて張り、柿渋を塗った。本来、杉の赤白を目立たなくするようにと思ったことが、大工の機転が功を奏し、色味が揃い、美しく仕上がった。
<バルコニーから桜樹を見る>
2階は軒先低く、見上げる視線を意識して、薄く屋根を仕上げた。
空を美しく切り取りたいためだが、低さからくる狭苦しさを回避するよう、内部の高さは慎重に決めている。また家族室の屋根が大きく迫るため、細かく銅板を葺き、眺める意匠性も考慮した。
特に隅勾配を蛤羽に葺き上げると、途端に表情が柔らかくなる。
<2階からの屋根>
昨年のちょうど今頃、この実施設計に向かっていた。
家の本質は、そこで暮らすことにあるのはいうまでもない。
鉛筆を走らせるなかに、暮らしのシーンを回想する。
図中の建物を歩き回り、庭を眺める。書く窓を開け、風が入るか、日差しの具合はどうかと呻吟する。朝から晩までの変化はどうか、バランスは大丈夫か、消しては書くの繰り返し。平凡な暮らしの中に、楽しみや実感があると思えば、自意識過剰では誠の暮らしは手に入るまい。
思いは駆けめぐり、やがて筆先を通じ、その姿が立ち上る。
それでも心配尽きず、完全ではないからこそ、竣工間際まで熱い視線が注げるのだろう。果たして出来てみると、想像通りに違いないのだが、具体像が結ぶ迫力は、想像では叶わない。
暮らすことの提案が設計作業であり、家を作る創造行為である。
この家がどういう使われ方をするのか、どんなシーンを刻むのか。
住み手を得て、家は初めて、思いも掛けない生き生きとした姿を見せるのだろう。
Sさんとの、長い付き合いが始まったようだ。
(前田)