東京S邸もいよいよ完成に向けて大詰めとなった。
大工仕事もほぼ終わり、最終工程へと一層の拍車が掛かる。
次第に全貌が現れ、我ながらひと段落つけたようだ。
<S邸外観>
この仕事、実は東京の職人のものではない。
「木の家T邸」を施工した、八戸の大山さんが請けてくれたものだ。
東京に引き受け手がなかったのが正直なところなのだが、これが現状なのかも知れない。
実施設計ができると、現場説明といって、見積もりを取ろうとする業者を呼ぶ。ここで発注しようとする建築の説明を行い、設計図書を渡す。見積もりには敷地の状況や周辺の環境、また工期や支払い条件など、環境条件や建主の要求を加味して算出しなければならない。
施工には当初、Sさん友人の経営する工務店でと希望を聞いていた。
もちろん私に異存はない。
しかし図面が進むに連れ、これだけの木を使った家が、果たしてこの東京に造れるのだろうか、Sさん父子にも一抹の不安があったようだ。
「2社はこちらで、1社は先生の方で心当たりを挙げてくれますか」
現場説明にあたり、実施設計納品の時にそういわれた。
中部地方なら複数挙げられても、関東でこれだけの木造の請け手が思いつかない。咄嗟に浮かんだのが、大山さんの顔だった。
Sさんの前で、3社に現場説明を知らせる電話を掛け、翌日来駕を仰いで見積もりを依頼した。大山さんも遠路、八戸から駆けつけてくれた。
それから半月あまり、結果が出ると、東京2社は見事なダブルスコアーだった。
「とてもこれだけのものは出来ない」
他の項目こそ大きな開きはないものの、木工事に関しては材料から大工手間に至るまで、とても私らでは考えられない値段が入っていた。
裏を返せば、それだけこういう仕事が無くなってきているということだろう。
うち1社は、大工を捜すだけでも無理だ、といってきた。
<家族室の梁組>
斯くして大山さんに依頼したのだが、果たして地元と同じスタンスで乗り込んでくれた。中里政義棟梁以下、常に10人前後の大工を投入し、9月の建て方に始まって6ヶ月もの間、熱心に形にしてくれた。同じく左官や板金なども八戸から出張ってくれ、現場監督の大山 聡、月館 要、両氏の健闘も大きかった。
帰る気持ちを抑え、ひとつひとつの仕事に打ち込む彼らに、職人の誇りをみる。
遠方の仕事は、多大な神経を使う。まして工事となれば、細かな材料から人工の手配、宿舎の世話からそれぞれの健康管理など、さぞ労力を使ったことだろう。
大山重則社長率いる大山建工は、材料と大工の両方が兼ね備わっていることが、何よりの大きな強みだ。
思う材料と、思うように作れる職人たちがひしめいている。
遠路厭わず、この仕事を請けた心意気は、大山さんの生き方にも通じている。
この大きな宝ものをひっさげて、日本国中を席巻して欲しい。
いま貴重となった木の家を、大きく強く伝えて貰いたい。
八戸大工の仕事を見るにつけ、心からそう思っている。
(前田)