謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中は多くの方にご高覧を賜りまして、厚く御礼申し上げます。
申し遅れましたが、このたび、第41回中部建築賞を受賞しました。
昨年の受賞に続いてのことで、重ねて御礼申し上げます。
この顕彰を大いな励みとして、本年も邁進して参ります。
(かりの)
<二軒茶屋内部>
昨年受賞した五十鈴茶屋に引き続いてのことで、ただただ驚いている。
町中に立つ、木造2階建て延べ80坪という小さな建築であり、景観上からも大きく制限を受ける地域である。間口が狭いウナギの寝床で、条件はかなり厳しい。
しかし、空間は制限が作り出すわけでなく、主体的な思いから生まれるもので、その意味ではどのような条件下でも、建築にする力が私たちに求められるのだろう。
これを励みに、今年も大いに勉励これ務める次第である。
昨年は、第5回木の建築賞の受賞に始まり、日本建築学会作品選集2010への選定、家具ではGOOD DESIGN EXPOへの出品が決まったりと、慌ただしく一年が過ぎた。
今年も盛岡から東京、伊勢に福岡と、また各地で建築が始まるが、腰を落ち着けてじっくりと取り組んでいきたい。本年もブログを通じ、裸子をさらす覚悟である。
ご笑覧を仰ぎ、普く方からのご批評を請うものである。
(前田)
<おはらい町通りからの外観>
第41回中部建築賞入選 「二軒茶屋」 審査講評より
伊勢、神宮に向かっておはらい町通りの参道が続く。
昔から途絶えることのない、もてなしの街並み。その先、宇治橋まであと少しというところの左手、五十鈴川との間をつなぐように、この茶屋が建っている。
地域の様式に従う妻入りの外観。一見して気が付くのは、周辺の建物よりも高さが一段低く抑えられていることだ。実は、あたりの建物の多くは街並み復興の気運に乗って新しく建てた「擬態」なのだ。
現代の設計者はどうしても近代風の「ドミノ型」の空間構成しか思いつかないらしい。1階、2階と空間を積み重ね、その上に切妻型を載っけてしまう。だから軒高が過剰に上がる。妻入りの場合、なんとなくおでこの広い、少々間の抜けた顔つきになる。この姿を批評しつつ、作者は「かつて街道に面した高さは決まっており、(この周辺でも)14~15尺を軒高としていた」という。だとすると、1mほども高すぎることになる。
世古(三重の言葉で「路地」のこと)沿いに延びる土間を奥へと進むと、吹き抜けになった客席に出る。桟敷席のように段々になって、奥の大きなガラス窓を透かして、五十鈴川の川面と対岸の山並みへと視線が通る。世古の向こう側にある小さな飛び地は「川床」になり、こっちへ来いと客を誘う。
ここで思い起こさせるのは、富岳三十六景「富士見茶屋」だ。
僕はこの連作を風景へと向かう「座としての建築」のあり方と感性の宝庫であると思っている。風景を愛でる空間をしつらえ、風のなかに身をさらす。いまそこに生きていることの快感を造形する建築・・・・・・。
これは、伝統、なのだろうか?
今でも私たちの感性のなかに確かに生きつづけているなら、そう堂々と言ってもいいだろう。しかし残念ながら違う。私たちが無意識のうちに牢固として守っているのは、むしろドミノ型の空間構成のほうだ。だからこそ、この作品が新鮮に革新的に映る。だが、果たしてこれでいいのだろうか?
(富岡 義人)