東京S邸平面計画(1)

東西を住宅地に挟まれ、北側には低層のマンションが建つ。
敷地南西には桜の大樹が2本あり、南には6mの道路が取り付く。
地盤は道路より50㎝ほど上がり、そのまま周囲の土地と平坦に繋がる。
桜を活かしたいことからも、東側のアプローチが自然と固まった。

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                  <1階平面>
準防火の指定がかかる住宅地で、木の家そのままの外観は現せない。
これは、木の家を求めるSさんも、すでに了解済みだった。
まずは1階をご両親、2階が若夫婦の居住空間として計画を進める。
日差しを受けとめるには、東西に部屋を繋げて南に面することが有効で、その上でなるべく北側に寄せることで庭を大きく取る。当たり前の計画手順だが、これまでの打ち合わせで必要最低の要望が固まってきたこともあって、建物と庭のバランスを見ながら、迷いなく計画に落としていった。
アプローチを東側に、まずはそれに面して二つの玄関を開ける。
将来、この家の中心となる若夫婦を手前に、奥がご両親となる。
アプローチ脇には要望通りに2台分の駐車スペースを設け、なだらかなスロープを上がるように玄関へと導く。木の家への羨望を承ったからには、入口となる玄関には木の建具を立てたい。そのため延焼ラインをクリアーする3mをアプローチ幅として確保し、既存の境界ブロックに修景を施し、アプローチに沿って長く水平に庇を通すことで、空間を抑えながら整えていく。

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               <ご両親玄関から庭をみる>
和を望むご両親の玄関には格子戸を立て、開けると奥行きある庭が眼前に広がる。敷地の幅そのままに見渡せる寸法である。お母さんは土庭が好みという。
日頃から草引き、落ち葉拾いと、慈しむように土と接するお母さんらしい。
天井を掛込みとして取次と繋げ、飾り棚をあしらって居住空間へと移る。
ご両親の要望に沿って、庭に面して廊下を通し、諸室を配る。
ダイニングとの続きに茶の間を設け、その奥、末端を寝室とした。ダイニングはキッチンとひと部屋に繋がり、キッチンでの作業はもとより、どの部屋からも庭が身近に繋がる。道路から隔たっていることからも、周囲の視線を気にせず、プライベートな開放感に浸れるだろう。
以前から話した家族室を、この庭先に設けた。
建物の高さを抑え、日差しを妨げず圧迫感がないように、また庭の背景となる屋根や外壁が目に優しく映るようにと外観を整えた。屋根を工夫したことで、建物越しに南西角の桜も望める。

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               <ダイニングから庭をみる>
みんなが集い、主客ともに語らえる空間をと、敷地の余白から導かれた家族室がこの場所だった。桜を中心に、大きく南西の庭を取り込み、戸を引き込むことで、内外一体の空間が広がる。
ちょうど若夫婦の玄関正面に位置し、襖を開け放てば自然と庭へ視線が抜ける。日頃の来客にも、子供を遊ばせるにも、自由に使える空間にしたかった。
もちろん、ご両親とも玄関を介して繋がっている。
内部は象徴的に屋根裏を現し、庭に影を落とさぬよう屋根の形が導かれた。
赤松の丸太を縦横に組み、母屋を一間に飛ばして丸太を渡し、木舞を通して薄板を張る。力強さと繊細さをあわせた造形を目論んだ。

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                <家族室10畳をみる>
ここは、家族同士の集まりにも、行事の場にもと願っている。
ひと月ごとの家族会はもちろん、暮らしのシーンを彩る場であって欲しい。
正月に始まり節分や立春、桃の節句に端午の節句、七夕飾りに盆の風習。
ご母堂さまを敬うお父さんなら、きっとその気持ちを子供に伝えることだろう。
彼岸から仲秋を迎え、月を仰ぎ観るこの庭には、四季が溢れるに違いない。
さらに七五三や誕生日、桜を囲む花見はもちろん、子供らのさまざまな記念日にも、この場所が家族の真ん真ん中にあって欲しい。
いつからか忘れられた行事や風習が、子供の成長とともによみがえる。
そんな経験をされた方もいるのではないだろうか。
大人同士だとおざなりになりがちな行事も、子供を持つとあらためて振り返る。暮らしのかなめに季節を感じ、目に見えぬものへの畏れや感謝を抱く気持ちは、日本人の暮らしの原点でもあろう。
また人生のハレの記念日を家族で迎える喜びは、確かな記憶として子供にも刻み込まれ、家の歴史が重ねられていく。
ここは、そのような家族のハレの場であり、家族の記憶装置である。
庭は、石巻をともにした庭師の加藤孝志が手掛けてくれることとなった。
安心して任せられる人が繋がった。
庭と建物が一体となることで、視覚的な広さも増し、空間はより豊かさを加える。
それは作り手にもいえることで、互いに異なる仕事を、互いを意識して作り上げることで、相乗的な芳醇さが生まれることを期待したい。
若夫婦世帯の紹介は、次回に譲る。
  (前田)