工事も順調に進み、いよいよ造作工事に入った。
家の骨格が形になるに従い、ご家族はもちろんのこと、工事関係者も期待にときめきを覚える。骨格では実感できなかった進捗も、この頃になると日を追って姿が形に現れる。
野球でいう6回ウラ、といった頃だろうか。
話を遡り、基本設計の過程を通して、この家の主旨に触れよう。
<右手の大樹がある敷地(既存住宅がある頃)>
都心の住宅地にあって南に道路を持ち、矩形に整った申し分ない環境にある。
用途地域に守られ周りに高い建物もなく、燦々と日差しが降り注ぐ。初めて訪れたときも、話し声を立てることが憚られるほど、周辺は静寂に包まれていた。
南西角には桜の大樹が2本あって、辺りからもその特徴を鮮明にしている。
二世帯と聞いてまず思ったのは、両家族が普段どう交わっているかということだった。家族の日常を覗かずに計画は立てられない。親族間の交流ほど、言葉とは裏腹に難しいこともある。
尋ねたところ、お父さんの考えなのだろう、S家では月に一度、家族全員を集めて食事会をするという。これはしめた、と思った。
実は私も一時、母の具合が悪く、実家に家族を連れ、生活を共にしたときがあった。自分が育ったところだが、家族を持って長い間離れた生活をしていれば、自ずと勝手も異なり、齟齬を生じるのはやむを得ないことだった。
そんなとき、お互いの家族で時間を作っては、揃って食卓を共にすることで、離れかねない糸を結び直せた経験がある。”共食”とは、人間生活の根本だと身を以て教えられた。
そんな結び目が多くなればなるほど、確かな絆に育っていくのだろう。
<アトリウムを持つ内観>
互いの生活に影響を与えない二世帯住宅なら、マンション暮らしと変わりはない。鍵を掛け、完全な別生活では共に住む価値は希薄である。
家族同士が交わり、多少の迷惑はお互いさまと共有する暮らしの中に、有意義な日常が生まれると信じる。些細なことでも会って話せば何かが伝わり、それが重なれば黙っていても信頼は強靱になる。暮らしは日々の積み重ねだからこそ、思う日常の姿を家として描く必要があるのだ。
当時、若奥さんには新たな命が宿っていた。
3世代の交流が育む家、これがSさんと一致した計画の柱になった。
最初に提案したのが、アトリウムを持つ家だった。
出てきた当初の要望は、部屋数も面積も大きく膨らみ、1,2階で両家族を分けつつも、全室を南向させることは不可能だった。
そこで家の中心にアトリウムを作って、光が降り注ぐ中庭を巡るように各部屋を配置し、北側の諸室にも光をあてることで要求に応えてみた。
それに加え、このアトリウムが上下階を繋ぐ、両家族のふれあいの場になればと考えた。
思い切ったプランだが、まずは反応を確かめたいという気持ちでぶつけてみた。
2家族の接点を如何に求めていくか、困難な道のりは始まったばかりである。
(前田)