T邸の続きを。
材料の刻みも終わり、いよいよ建て方が始まった。最も緊張する時である。
高さは良かったか、軒の出のバランスは、全体の佇まいは、思考を重ねた設計が現実に迫る。
今さらどうしようもないのだが、この状態を確めるまでは気が抜けない。
設計技量が白日のもとに晒される瞬間でもある。
(中里棟梁)
現場の指揮は老練な大工、中里政義が受け持った。
技術、人柄ともに卓越した棟梁である。
木を組む難しい仕事から繊細な造作まで、中里さんの手に掛かると思う通りの形になる。ともすると、大工の得手勝手に図面を曲げて解釈されがちだが、中里さんは設計に肉薄する仕事で応えてくれる。
仙台の仕事からの付き合いになるから、かれこれ8年ほどだろうか。
これまでも建築を通じ、互いに意見を戦わせてきたが、今では気のおけない先輩のひとりと慕っている。
実はその最初の現場で1箇所、私の意図する形と異なる納まりがあった。
現場を見るなり即座に指摘したが、周りとの取り合いで直すことが出来なかった。
よほど数寄の納まりを熟知した人の他は分からないだろうが、他の出来と引きかえ悔やまれるディテールだった。
遠方での監理は、現場との意思疎通を密にしていても、このような事態を招くことがある。転ばぬ先の杖を自戒しているつもりだが見落としは付きもので、自分のミスを含めて互いに指摘し合える関係を築けるかが、現場監理の要となる。依って人間関係が大きく作用しているのは間違いない。
もちろん、事前に的確な指示が出来なかった私の責任であって、中里さんを責めた訳ではない。
それが先日、建て方の打ち合わせ後の席で突如、中里さんがポツリといった。
「あの時は申し訳ありません。今でもあの時の夢を見ます。これから一生、前田さんの顔を見るたびに、あの納まりを思い出すのかと思うと、今更ながら仕事の責任が重くのし掛かってきます」
6、7年も前のことだが、中里さんは忘れていなかった。
些細なことをと笑うかも知れないが、建築を作るとはかように小さなことの集積にあって、雰囲気で作っていては建築にはならない。細部の限りない積み重ねが、初めて建築に独特の雰囲気を生む。この一点を蔑ろにしてはならない。
中里さんもそこが解るのだろう。この間、互いに同じことで自らを戒めてきたのかと、突然の吐露に胸が震える感激を覚えた。
小さなことにも意識を傾注し、嘘のない仕事を目指す、中里さんの生きざまそのものを見た思いがした。
(T邸 上棟)
T邸も、刻みに多くの手間を掛けさせてしまったが、中里棟梁の采配で無事、上棟を迎えた。
出来映えに大変満足していると、若いTさんも満面の笑みで称えていた。
大山さんが集めた木を、中里さんが巧みに刻んで形にしていく。
息のあった2人の連携は、既に30年になろうとしている。
誰にも負けない、木の家の素晴らしい作り手たちである。
(前田)