木の家T邸の続きを。
まず、施主との間で契約がまとまると、材料集めに掛かる。
一般の工務店ならば、ここで材木屋から木を仕入れることになる。
材木屋だから常に木を揃えているかといえば、今ではそんなことはなくなった。
手持ち材は保有財産とみなされ、税金など保管手間がバカにならない。
大山さんは、木を集めるのが好きな人、といっていい。
工場に行くと、さまざまな材木が、何時かと使われる時を待つ。
木は、削ればすぐ材料になるかと思う人もいようが、そうは問屋が卸さない。土場に寝かせて乾燥させ、木の癖を存分に出し切ったところで製材に掛ける。寝かせるといっても、放っておけば虫もつき、腐りもでる。常に人が面倒を見ねばならない。この手間によって、後で狂いが少なく、痩せにくい材料となる。
建築材料として使えるまでには、このような年月と手間が必要なのだ。
当初、大山さんと仕事をしたときから、
「赤松を生かせないだろうか」
と、相談を受けた。
百年ものの赤松が、地元八戸から岩手県境に掛けて自生していると聞く。
早速、板ものにして、式台や天板に使ってみたが、それだけでは物足りない。
胴差や小屋丸太の大材として用いたところ、好感触を得た。
肌が白く、杢目が穏やかで、松特有の癖はあるが、力強さとおとなしさが共存する。柿渋で若干色つけをしてみたが、油分のせいだろうか、ひと際艶っぽくなる魅力もある。
今回、リビングに掛かる丸太に、この赤松を使った。
早速、手持ちの材を削ったからと連絡を受け、工場に伺った。直材の丸太は見るからにどっしりと迫力がある。赤松の状態も良い。思った通りだ。
だが気掛かりは、リビングの両端に掛かる丸太だった。
設計意図は後に記すが、家の構造上、ここは曲木の梁を用いねばならない。
以前にも触れたが、今は曲がり木が手に入りにくくなった。
売り物にならない木は生やしておけない、そういう主義なのだろう。小木の時から質の悪い木は間引きされ、育てやすい、質の素直な直木だけが残される。今は木も商品なのだ。
木の建築は「捻子組」ともいって、さまざまな木を集めて組まれることで、初めて強さが生まれる。
曲がりを持つ木や、斜面から生えた木の根本など、普段用いることのない材料も、使い方次第で建築の強度を高められる。癖のある木や節のある木も、用い方、組み方次第で家を強くする。異なる性格の人が集まることで社会が構成されるが如く、好青年ばかりで建築は成り立たないのだ。
こうしたさまざまな性格の木を、適材適所に配ってそれぞれの能力を発揮させ、それを纏めて家の骨組みを作るのが、古来から伝わる日本人の知恵であった。
「木組みは人組み」といった、法隆寺大工の西岡さんの言葉にも通じる。
そこに込められた知恵が、木造建築の大事な骨格を作ってきたのである。
幾ばくか不安交じりに加工場に行くと、棟梁の見立てで伐った赤松が、梁として見事に木づくりされていた。書かれた図面に瓜二つの丸太だと、誇らしげにいわれて思わず笑った。
土台には、大山流に栗を用い、柱には50年ものの杉が整えられた。
全て県産材で、というのが、かねてより大山さんのこだわりでもある。
(前田)