今年の初めから石巻へ通っている。
松島海岸を車窓に眺めながら、仙台から電車を乗り継いでいく。
当初、とにかく風が強いという印象だった。冬の間はいつもこうなのだという。
体感温度は格段に低い。
医師である森 芳正先生の招請を受け、この度の別業造営に携わることとなった。
森先生は国立仙台病院に勤務の傍ら、ハンセン病施設にも献身された方で、今でも毎年、施設に暮らす方に、積極的に身銭を切って花火大会を催すなどの慰問を続けておられる。来年で10年になると施設の方にお聞きしたが、まさに有徳の人といっていい。
この地で「森消化器内科外科」医院を開業されて15年、現在に至っている。
本計画は、先生の病院と隣接する敷地、約1000坪の広さに、池を中心とする庭園と茶室、広間、四阿などの諸施設を点在させた別業施設である。周辺を住宅地に囲まれた閑静な場所にあり、矩形に纏まった土地とともに、立地の良さが伺える。思うまま、ここに日本の空間を展開させてみたい。
先生と話す中にも深い日本文化への造詣が感ぜられ、かねてから念願込められた造営と承った。
私が拘わる以前になるが、今より2年ほど前、茶室の移築計画が始まった。
秋田の老舗旅館 榮太郎から譲り受けられたもので、秀吉の側室 淀君ゆかりの伝承が伴う茶室と聞く。
四畳半の小間に、寄付と水屋が添った建築である。
移築に拘わる仕事は、仙台の作庭舎 上原啓吾先生の指揮によった。
移築する茶室は随分と傷みがあり、外周りのほとんどは新材に変更を余儀なくされたようだが、今でも内部は昔日の面影をとどめ、昨年6月末に無事工事が完了された。
この移築が本計画の発端となり、この度の別業が営まれることになった。
茶室が佇む敷地に、森先生の希望に添った池の形が決まった時点で話を頂き、その後を引き継ぐ形で関わることとなった。
現在、広間の建築工事に目処が立ったことから、茶室を取り巻く露地を作庭している段階で、庭園を含む諸施設全ての完了を4月いっぱいと見込んでいる。
全体の計画から、諸事仕事の内容を含めて、これからご紹介させて頂こうと思う。
森先生からも、是非にと勧められてのことでもある。
多くの方のご批評を、心から期待している。
(前田)