陰翳の効用

いよいよ最終回です。
「四季の暮らしと室礼」、如何でしょうか。
ただただ呆然と暮らしていると、大事な季節をすっかり逃してしまうことに気付かされました。
四季のある環境にいながら、勿体ないことですよね。
それでは最後までどうぞ。
 ~ 陰翳の効用(最終回) ~
この深い軒の出は、私たちの暮らしに深い陰翳を作ってきました。
先ほどお話しした障子はその対極にあるものですが、しかしその障子によって光を作り替える作用をしてきたんです。それは何をいっても、建築空間に深い陰翳を作りだしたことです。
紙は光を通しはするけれど、ガラスのように直接通すわけではなく、一端紙自体が受け止めて、紙の持つ繊維に屈折させて、柔らかく光を拡散する。
その障子が持つ性質自体が、日本の姿を立ち上らせている、といっても良いのでしょう。
特に、そのことについて鋭く語っているのが、作家谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』であります。その一部をご紹介しましょう。

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  日本家屋を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。
  しかも鳥打帽のように出来るだけ鍔を小さくし、日光の直射を近々と
  軒端に受ける。けだし日本家の屋根の庇が長いのは、気候風土や、
  建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。・・・・・・・
  日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、
  是非なくああなったのだろう。が、美というものは常に生活の実際から
  発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされた我々の祖先は、
  いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように
  陰翳を利用するにいたった。・・・・・・・・
ここに書かれているのは、光と陰が相半ばするといった、生易しいものではないんですね。
まさに光と蔭が溶け合って、それが滲みながらも、仄かな力強さを持って迫ってくる、これが日本人の好むところなんだというんです。
それは空間として明と暗をくっきりと区別をしないということでもあって、そのために深い軒の出が明暗の中間地帯を巧みに操って、障子に光を到達させる。障子は拡散する性質を遺憾なく発揮して、暗い室内に静かな拡散光を降り注ぐことで、日本独特の奥深い空間を作りだしているんでしょう。

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また障子は内から見る外に光に、もうひとつの空間との繋がりを予感させ、外部へ開放されてゆく感覚をも与えてくれます。障子は空間を遮りながらも、室内と自然を結ぶ役割を果たしてくれているんです。
陰翳がもたらす深さと奥行きは、まさに日本家屋の真骨頂であって、この国の文化を作り出してきた一端を担っているんだと感じさせられます。
ここに出てくる「暗さ」、これも夏には欠かせないものです。
明るさに慣れた現代では、とかく明かりが強すぎるようです。
谷崎潤一郎も、夏の贅沢は真っ暗にして戸を全て開け放ち、蚊帳の中でじっと外を眺めているときだ、といったのを覚えています。暗さも温度感覚として、大事な要素なんですね。
東京の帝国ホテルは皆さんもご存じかと思いますが、あのロビーが近年改装されてしまいました。
今はすっかり明るくなりましたが、当時のロビーは随分暗く感じたものです。
それでも少し座っていると、身体が馴染むようにその明るさに慣れてきて、何とも言えず降り注ぐ間接光に、障子の光を連想させられたのを覚えています。
それは逆にいうと、「暗さ」の文化といったものが、既に日本からなくなっているんではないか、ということでもあります。
近年の照明計画における日本の灯りは、ただただ天井の隅の暗さを消すことに執着してきたかのようで、それは夜の暗さが醸す楽しさを、消してしまったことでもあるんですね。
今の日本家屋を見ても、昼間より夜の方が室内が明るい、という現象が起こっているのをあちこちで見かけます。それに多くの人が不自然さを感じなくなっている状況に陥っていること自体が、現代人の明るさに対する鋭敏さが欠落している、何よりの証でしょう。

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先程からの写真でもありましたように、ちょっとした飾りひとつでも、次々に季節を取り込んで、私たちは暮らしの中に活かしてきました。あまり小難しく考えることはないんです。
花の咲くのに季節を感じ、日常の中のちょっとした変化を感じ取る中に、暮らしのささやかな喜びを育んでいったんでしょう。
また、こまめに季節を追う中には自然と気配りや、気働きも生まれ、「季節を外れた着物を着るなどもってのほか」と戒められたのも、そうした季節と共に躾があった何よりの証拠だと思います。
季節は人との付き合いの中にも息づき、年賀、中元、歳暮といった時候の挨拶、日頃の近所付き合いは、知らぬ間に社交の仕方や大人社会での挨拶の仕方などを、無意識のうちに躾てくれたんだと思います。
いま私たちの周りに四季はあるものの、自分たちが作り出した人工環境によって、それが直接感じられなくなっています。
サッシに閉じこもり、クーラーの効いた部屋にいることで、どれだけ感情の襞が少なくなっていることか、豊かな感情が育たずにいることを思うと、本当に勿体ないことです。
京都の、あの町中の立て込んだところになど、満足な自然はありません。
しかしその中にあっても、こうした積極的な室礼をすることによって、自分たちで季節を感じる取り組みをしてきたんです。主体的に季節を感じる気持があれば、我々を取り巻くどのような環境にあっても、充分に豊かな生活を送ることができるのではと思います。
真の寒さを知らなければ冬の俳句など作れるはずもなく、寒い暑いを敵と思わずに、思い切って味方に付けて自然と触れ合ってみる。
そうすることで見えてくることも、きっとあるのではないかと思います。
別に昔に返れと勧めているわけではありません。
せめて我が家の片隅を片づけて、季節を室礼ってみる。
ちょっと洒落てみるかといった暮らしが、私たちの中にある漠然とした四季を、身近に引き寄せる最前の方法だと思います。
何より暮らしを楽しむこと、それが室礼の最大の目的なのですから。
最後までご拝読頂きまして、ありがとうございました。
実生活で役立てていければと思っていますが、早速事務所に一輪挿しを出して花を入れてみました。積極的に四季を身近に引き寄せる、少しずつですがやってみようと思いました(三日坊主ですが)。
前田さんも長らくご無沙汰でしたが、次回からはまた仕事の話をしてくれるようです。
今後とも、当ブログを宜しくお願いします。
  (かりの)