「四季の暮らしと室礼」のレポの続きです。
室礼は「しつらい」と読みます。
皆さんも日頃身近に接していることなんですよ。
では、室礼とは何でしょう?ご覧下さい。
~ 室礼とは ~
今日のお題にある「室礼」という言葉、一般の人にはあまり使われない言葉かも知れません。
最近では婦人雑誌などで取り上げられる回数が増えましたけれど、あまりこの言葉は使われてこなかったように思います。
簡単にいえば、「飾りや調度をその場にふさわしく配置する」といったことで、特に昔では、ハレの儀式の時に座敷に調度を仕立てて、室内を装飾する専門の人たちがいました。
これは皆さんおなじみの京都の銀閣寺。
その中の東求堂と呼ばれる建物の一室で、“同仁斎”と呼ばれている部屋です。
銀閣寺は足利将軍8代義政が建てたもので、この東求堂は彼の持仏堂でした。
この義政に仕えていたのが、「能阿弥、相阿弥」と呼ばれる同明衆という人たちで、この人たちがこうした室礼の専門家だったのです。
「君台観左右帳記」といって、その飾り方を書いた書物が今も残っておりまして、そこには掛物をはじめ、唐物道具など各種の飾り方や用法が書き記されておりました。
そのように室礼というと、小難しい用法も歴史上にあったんだ、ということだけご理解ください。
<君台観左右帳記>
今日は気軽な室礼ということで、軽いお話をしようと思いますが、皆さんも知らないうちに、実はそうしたことに接しています。
私も設計という仕事をしておりますと、よそ様の家に行く機会が多くあります。
それまで外でしか会っていなかった人でも、ひとたび家庭を訪れると、その人の”人となり”がすべて理解できるんですね。
恐らくより豊かに実感をともなって、見る人に伝わって来るんでしょう。
皆さんも同じ思いだと思います。
整理整頓をきちんとして、いつでもお客さんを招き入れる準備がしてある家庭もあれば、茶の間にも本や勉強道具を持ち込んではみんなで過ごす家族団らんの家庭もあります。
そこに見えるのは、その家ならではの置き方というものであって、そこに並べられているテーブルや椅子の配置、調度の飾り付け、装飾の仕方の中に、家庭のもつ独特の雰囲気がにじみ出て来るんですね。それが「室礼」というものです。
美的感覚はとにかくとしても、そうした暮らしの中の室礼が、見る人にとってその人をより良く理解させてくれるんだと思うんです。
そういう点から見ると室礼は、
「単に飾り付ける」
といった短絡的なことではなく、もっと広い意味で住まいの文化として捉えることができるように思います。
おそらくそこには作法というと大袈裟かも知れませんが、各家庭なりの室内での動き方みたいなものもあって、まさに”百聞は一見に如かず”で、その住まい方に、自ずと住む人の人柄が滲み出てくるんだと思うんです。
(続)
如何でしたか。
室礼とは、「その人の人となり」が現れる。
ざっと自分の家を見渡してゾッとするところがありました(笑)
「能阿弥、相阿弥」のようには行かないまでも、室礼に気を配ることである程度の感覚は磨かれるのではないでしょうか?
さて、室礼を整えるのには“道具”が必要です。
日本人はいろいろな道具を使用することでひとつの空間に変化を与えてきました。
次回はー日本家屋と道具ーで空間がどのように変化するのかを具体的にご紹介いたします。
(かりの)